著名自分史「黒田清隆」

オリジナル

黒田 清隆

くろだ きよたか

黒田 清隆

1842年~1900年

40

「維新の三傑」の政争に翻弄され西南戦争後は酒乱となり、開拓使官有物払下げ事件に逆ギレして「超然主義」を唱え民権派と三菱を弾圧、順送りで2代首相・元老に栄達したが政治的業績を残せなかった孤独な薩摩閥のボス

寸評

基礎点 40点 黒田清隆は、西郷隆盛・大久保利通の薩摩藩志士グループに連なり、戊辰戦争と西南戦争では官軍の指揮官として活躍、政治家不足の薩摩閥にあって順送りでボス的存在となり第2代内閣総理大臣・元老に栄達した。しかしながら、黒田清隆は軍人としては優秀だったが、政治的事跡というと、薩長同盟で西郷隆盛の使いとして木戸孝允の案内役を務めたこと、榎本武揚の救済、北海道開拓使でのケプロンやクラークの招聘と樺太・千島交換条約、開拓使官有物払下げ事件と逆ギレによる大隈重信・岩崎弥太郎・三菱潰し、薩長藩閥「超然主義」重鎮としての政党弾圧くらいで、おまけに西南戦争後は酒乱の厄介者となり薩摩閥でも孤立した。首相職は薩長平等の原則により伊藤博文から譲られたに過ぎず、在任中の大日本帝国憲法公布も専ら伊藤の業績である。明治の軍部を担った同郷の大山巌や山本権兵衛、長州の伊藤博文・山縣有朋・井上馨や民権派の板垣退助・福澤諭吉・大隈重信らに比べ黒田清隆は非常に存在感が薄い。松方正義も同様だが、西郷隆盛・大久保利通の後釜としては力量不足で恵まれた地位を活かせなかった。

史実

1840年 薩摩藩の下級藩士黒田仲佐衛門清行の嫡子黒田清隆が鹿児島にて出生

1846年 フランスが琉球の開国を要求

1849年 お由羅騒動

詳細を見る

1850年 薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展)

詳細を見る

1851年 島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手

1853年 [ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

詳細を見る

1853年 徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発

1854年 ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

詳細を見る

1854年 ロシア艦隊が長崎に来航し通商を求める

詳細を見る

1854年 薩摩藩主島津斉彬が参勤交代で江戸入り、中小姓として随行した西郷隆盛を江戸藩邸で御庭方役に任じ直属の謀臣に抜擢

詳細を見る
もっと見る

交遊録

島津斉彬 偉大な主君
島津久光 斉彬庶弟・薩摩国主
島津忠義 薩摩藩主を継いだ久光長子
西郷隆盛 大恩人のボス
大久保利通 ボス
小松帯刀 良き上司
吉井友実 精忠組同志
伊地知正治 精忠組同志
有村俊斎 精忠組同志
大山正円 精忠組同志
もっと見る