著名自分史「西郷隆盛」

オリジナル

西郷 隆盛

さいごう たかもり

西郷 隆盛

1828年~1877年

100

島津斉彬の懐刀として政治力・人脈を培い大人格者の威望をもって討幕を成遂げた薩摩藩の首魁、没落する薩摩士族に肩入れし盟友の大久保利通に西南戦争で討たれたが「大西郷」人気は今も健在

寸評

基礎点 100点 西郷隆盛は、薩摩藩を率いて討幕を成遂げた「維新の三傑」である。大久保利通ら地元の青年を集めて尊攘派グループ「精忠組」を結成し、下級藩士ながら薩摩藩主島津斉彬に抜擢され名代として将軍継嗣問題に奔走したが、斉彬が大老井伊直弼打倒の上洛軍を発動した直後に突然死し、絶望した西郷は勤皇僧月照を抱え錦江湾で入水自殺を図った。大久保が藩政を握ると西郷隆盛は復帰するが島津久光と衝突し遠島処分、2年の罪人生活の後に再び召還されると薩長同盟、戊辰戦争、明治政府樹立へと直走った。維新後は唯一の大将として全国民の輿望を担い廃藩置県や徴兵制を後押ししたが、政府高官の奢侈と腐敗に悲憤慷慨し、征韓論を大久保利通・木戸孝允・岩倉具視に退けられ下野、西郷が戻った鹿児島は「私学校王国」と化し大久保政府は対決姿勢を明示した。我が身を部下に預けた西郷隆盛は西南戦争の首領に担がれ上京軍を起すが熊本城や田原坂で政府軍に敗北、鹿児島城下の城山に追込まれ自殺した。
10点 西郷隆盛は、栄耀栄華を好まない廉潔な人柄で明治維新後も清貧を通し、貪官汚吏の筆頭格に堕した井上馨を「三井の番頭」と侮蔑し、西郷嫌いの大隈重信を除く同時代人から徳望を賛美された。なお座右の銘として有名な「敬天愛人」には大した意味は無い。
-10点 討幕活動における西郷隆盛は謀略も駆使するマキャベリストであったが、自分を慕う者、特に金銭に潔癖な武人への愛情が強く、私学校の門弟に対する同情に引きずられて西南戦争を起し、近代国家建設にほとんど貢献できなかった。また、井上馨と並ぶ腐敗の元凶たる山縣有朋を何故か高く評価し山城屋事件の窮地を救済、西郷の後援で徴兵制を実現した山縣は幸運に恵まれて陸軍・政府の最高実力者となり過剰な天皇崇拝を推進め暴走軍部の基礎を創った。

史実

1828年 薩摩藩の下級藩士西郷吉兵衛隆盛の嫡子西郷吉之介隆盛が鹿児島城下加治屋町にて出生、西郷従道は15歳下の弟

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1839年 西郷隆盛が喧嘩で重症を負う

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1840年 アヘン戦争(~1842)

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1841年 西郷隆盛が13歳で元服

1842年 異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

1844年 西郷隆盛が薩摩藩庁に出仕し郡方書役助に就く

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1846年 フランスが琉球の開国を要求

1849年 お由羅騒動

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1850年 薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展)

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1850年 12代将軍徳川家慶・老中阿部正弘が薩摩藩主島津斉興に引退勧告

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交遊録

島津斉彬 神君
島津久光 大嫌いな斉彬庶弟
島津忠義 薩摩藩主を継いだ久光長子
黒田長溥 斉彬の大叔父で後援者
大久保利通 竹馬の友にして盟友
小松帯刀 良き上司
吉井友実 精忠組同志
伊地知正治 精忠組同志
有村俊斎 精忠組同志
大山正円 精忠組同志
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