著名自分史「岩崎弥太郎」

オリジナル

岩崎 弥太郎

いわさき やたろう

岩崎 弥太郎

1835年~1885年

80

後藤象二郎に重宝され土佐藩の貿易商社「土佐商会」を掌握、維新後独立し大久保利通の保護政策と台湾出兵・西南戦争の特需に乗じて「三菱海上王国」を現出させたが大隈重信に肩入れし薩摩閥との激闘の渦中に憤死した三菱財閥の創始者

寸評

基礎点 80点 岩崎弥太郎は、郷士より下の地下浪人の出自ながら吉田東洋の「少林塾」入門で開運、後藤象二郎のもとで土佐藩の貿易商社「土佐商会」を掌握し維新の混乱に乗じて私企業「三菱商会」へ改組、台湾出兵で大久保利通政府から「保護育成会社」指定を勝取り国内海運業を独占し「三菱海上王国」と称された。板垣退助が戊辰戦争に独断参戦し土佐藩は「薩長土肥」に食込んだが、資金難のなか軍備調達に孤軍奮闘した岩崎弥太郎の活躍は見逃せない。大久保利通の暗殺で後ろ盾を喪った岩崎弥太郎は、大隈重信(福澤諭吉)の政治活動に肩入れしたことで薩摩閥の恨みを買い、薩長藩閥・政商連合が設立したオールジャパンの「共同運輸会社」との過当競争で追詰められたが、死ぬまで猛烈に戦い商人の心意気を見せ付けた。岩崎弥太郎が没するとすぐに岩崎弥之助は海運業から撤退したが、弥太郎が築いた膨大な財産と人脈、鉱山・造船などの事業シーズを元手に短期間で今日に至る三菱財閥の礎を築き上げた。

史実

1835年 土佐安芸郡井ノ口村の地下浪人岩崎弥次郎の嫡子に岩崎弥太郎が出生

1840年 アヘン戦争(~1842)

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1841年 吉田東洋(後藤象二郎の義理の叔父)が中級藩士(馬廻格200石)吉田家を相続、翌年土佐藩庁に出仕し藩政改革に参与

1842年 異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

1848年 14代土佐藩主山内豊惇が死去、山内容堂が末期養子となり15代藩主に就任

1850年 岩崎弥太郎が高知城下に出て岡本寧浦の私塾紅友舎に入門

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1851年 土佐安芸郡井ノ口村の地下浪人岩崎弥次郎の三男として出生(嫡子の岩崎弥太郎より16歳年少)

1853年 [ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853年 土佐藩主山内容堂が吉田東洋を参政に抜擢し藩政改革を推進

1854年 岡本寧浦が死去

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交遊録

岩崎弥之助 弟・三菱2代目
岩崎久弥 弥太郎嫡子・三菱3代目
岩崎小弥太 弥之助嫡子・三菱4代目
岩崎俊弥 弥之助次男・旭硝子創業者
加藤高明 弥太郎娘婿
幣原喜重郎 弥太郎娘婿
木内重四郎 弥太郎娘婿
渋沢敬三 木内娘婿
渋沢栄一 敬三祖父
松方正作 弥之助娘婿・正義次男
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