著名自分史「石橋正二郎」

オリジナル

石橋 正二郎

いしばし しょうじろう

石橋 正二郎

1889年~1976年

90

久留米の小さな仕立屋からゴム底の作業靴「アサヒ地下足袋」と学童靴「アサヒ靴」で躍進、トヨタ・日産に先駆けて自動車タイヤの製造に挑み「世界のブリジストン」を築いた天才企業家

寸評

基礎点 90点 久留米の小さな仕立屋に生れた石橋正二郎は、17歳で家業を継ぐと足袋専門店へ業態転換し工場を開いて量産を開始、格安均一価格と街宣車など斬新な広告宣伝で業績を伸ばした。第一次大戦の特需もあり年産200万足へ急伸した「二〇銭均一アサヒ足袋」は四大足袋メーカーに食込み石橋正二郎は「日本足袋株式会社」を設立した。反動不況で売上が伸悩むと、石橋正二郎は実用性の高いゴム底作業靴「アサヒ地下足袋」を開発、九州の炭鉱夫から評判は全国へ広がり、関東大震災後の土木建築ラッシュも追風となり、今に続く大定番品となった。石橋正二郎は学童靴「アサヒ靴」や長靴・ゴム靴へも事業を広げ、専売店は日本全国6万店へ拡大し中国・満州へも進出、年産6~7千万足を誇る日本足袋は日本有数の消費財メーカーへ躍進した。ゴム製造に乗出す過程で自動車時代を予見した石橋正二郎は、タイヤ製造へ進出し初の国産化を成功させ1931年「ブリッヂストンタイヤ」を設立、日産自動車・トヨタ自動車の創業より2年も早い偉業であった。輸入品の半値以下ながら世界基準の品質を獲得したブリッヂストンタイヤは、日中戦争に伴う軍用トラックの需要拡大で急成長を遂げた。第二次大戦後、石橋正二郎は株式交換で兄と弟に日本ゴム(←日本足袋)を譲って財閥解体を回避し、物資不足とドッジ・ライン恐慌で逼塞するも朝鮮戦争の軍用トラック特需で蘇生、自転車製造へ参入し(現ブリヂストンサイクル)、米国グッドイヤー社から最新技術を導入した。プリンス自動車工業の経営破綻で自動車製造への参入は頓挫したが、石橋正二郎はマレーシアに戦後初の海外工場を設立し巨大市場アメリカに販社を開設、相談役へ退いたのち1976年87歳で永眠した。自家用車の普及と共に「ブリヂストン」は成長を続け、1988年米ファイアストンを買収、2005年仏ミシュランを抜いて世界シェアトップに立ち、時価総額4兆円を窺うグローバル企業となった。2代目社長を継いだ長男の石橋幹一郎が同族経営を放棄したが、石橋家は大株主に君臨し鳩山家のスポンサーとしても健在である。なお、日本ゴム改めアサヒコーポレーションは1988年に倒産し再建途上である。

史実

1886年 藤岡市助・大倉喜八郎らが東京電燈(現東京電力)設立、全国各地で電力普及が進む

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1889年 福岡県久留米市で仕立屋「志まや」を営む石橋徳次郎の次男に石橋正二郎が出生

1894年 不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃)

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1894年 日清戦争勃発

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1895年 下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

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1895年 三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

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1896年 豊田佐吉が動力織機「豊田式木鉄混製力織機」を発明し繊維業界を席巻(2年後特許取得)

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1898年 列強による清の植民地争奪競争が激化

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1901年 官営八幡製鉄所操業

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1902年 第一次日英同盟協約締結

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交遊録

石橋徳次郎
石橋進一
石橋幹一郎 息子・ブリジストン2代目
鳩山一郎 娘の舅
鳩山安子 娘にして鳩山家のゴッドマザー
鳩山威一郎 娘婿
鳩山由紀夫
鳩山邦夫
石井光次郎 親友にして息子の嫁の親
池田勇人 甥が池田の三女を娶る
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