「豊田 佐吉」の史実


1872年

渋沢栄一の主導で官営工場富岡製糸場操業開始

豊田 佐吉(1867年~1930年)
輸出産業の中核である製糸業の育成強化のため、大蔵省の渋沢栄一の主導により、蒸気駆動の輸入製糸機を備えた官営富岡製糸場が建設され大規模生産を開始した。渋沢栄一は、従兄の渋沢成一郎(上野彰義隊頭取、函館戦争で投獄されるが赦免)と義兄の尾高惇忠を現場監督に採用した。官営富岡製糸場を皮切りに日本各地に紡績工場が建設され明治経済の屋台骨となった。『女工哀史』や『あゝ野麦峠』で製糸業女工の悲惨な労働環境がクローズアップされ世の同情を集めたが、そもそも貧窮を宿命づけられた寒村女性に生活手段を与えたもので雇用創出策としても評価すべき事業であった。