著名自分史「豊田佐吉」

オリジナル

豊田 佐吉

とよだ さきち

豊田 佐吉

1867年~1930年

70

国産初の動力織機など特許84件・実用新案35件を誇る「発明王」、繊維産業の没落で「紡績財閥」は壊滅したが長男の豊田喜一郎がトヨタ自動車を創業

寸評

基礎点 70点 豊田佐吉は、国産初の動力織機など特許84件・実用新案35件を誇る「発明王」、繊維産業の衰退で「紡績財閥」は壊滅したが長男豊田喜一郎のトヨタ自動車の礎となった。愛知県湖西市で家業の大工を手伝ううち発明家を志した豊田佐吉は、出奔して東京の工場を徘徊し臥雲辰致の「ガラ紡」に感銘、変人扱いされながら納屋で研究に没頭し国産初の動力織機「豊田式木鉄混製力織機」を完成、人力織機の10~20倍の生産性と品質均一化を実現した。豊田佐吉は綿布製造に乗出したが販社の三井物産は織機に注目、格安な豊田式木鉄混製力織機は忽ち輸入織機に取って代り、家内制手工業の綿織物業が大規模工場・大量生産へシフトする起爆剤となった。1906年三井物産の出資で「豊田式織機株式会社」が発足し(現豊和工業)、常務取締役兼技師長の豊田佐吉は製品改良に励んだが、日露戦争後の反動不況で業績が急落し責任を押付けられ追放された。新天地を求める豊田佐吉は右腕の西川秋次を伴い欧米を巡察したが自分の技術が最高と確信し帰国、1912年名古屋市で「豊田自働織布工場」を開業すると、第一次大戦に伴う物資不足で綿布注文が殺到し急成長を遂げ「豊田紡織株式会社」(現トヨタ紡織)へ改組した。海外進出を念願する豊田佐吉は、最大輸出先の中国の関税引上げ(大英帝国の特恵関税・保護貿易化)に対処すべく三井物産の支援を得て上海に輸出代替工場を開設(豊田紡織廠)、西川秋次を送込み「在華紡」の一角へ成長させた。十余年で「豊田財閥」を築いた豊田佐吉は、本丸の紡績事業を婿養子の豊田利三郎に任せ、東大工学部を出た豊田喜一郎と共に「豊田自動織機試験工場」で再び織機開発に没入、1925年動力織機の完全版「無停止杼換式自動織機(G型自動織機)」を完成させ翌年「株式会社豊田自動織機製作所」を設立した。1929年世界恐慌で繊維不況が始まり、豊田佐吉は翌年63歳で病没したが、豊田喜一郎はトヨタ自動車創業へ動き始めた。その後、第二次大戦による輸出断絶で豊田佐吉が築いた紡績事業は壊滅したが、トヨタ紡織・豊田自動織機は自動車事業の一翼を担い今も創業者の名を伝えている。

史実

1867年 愛知県湖西市山口で農民兼大工を営む豊田伊吉の嫡子に豊田佐吉が出生

1867年 王政復古の大号令

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1868年 明治天皇即位礼、明治に改元

1869年 版籍奉還

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1869年 四民平等~華族・士族・平民の三身分制の実施

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1871年 廃藩置県

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1872年 新橋-横浜間に鉄道が開通

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1872年 渋沢栄一の主導で官営工場富岡製糸場操業開始

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1872年 渋沢栄一の主導で三井小野組合銀行(後の第一国立銀行)が設立され国立銀行条例制定

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1873年 徴兵令布告

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交遊録

豊田喜一郎 優秀な息子
豊田利三郎 娘婿
豊田英二 優秀な甥
豊田章一郎
豊田達郎
飯田新七 喜一郎の岳父
西川秋次 大番頭
石田退三 将来の逸材
神谷正太郎 将来の逸材
臥雲辰致 憧れの発明家
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