著名自分史「早川徳次」

オリジナル

早川 徳次

はやかわ とくじ

早川 徳次

1893年~1980年

70

「シャープペンシル」の発明で台頭するが関東大震災で事業と妻子を喪失、ラジオ・テレビの国産化で復活し世界の「シャープ」を築いた不屈の職人企業家

寸評

基礎点 70点 東京日本橋の木工職人に生れた早川徳次は、貧家の養子となり虐待されたが、隣家の盲目女性に救われ8歳で錺屋(金属細工)職人の丁稚となった。年季奉公を終えた早川徳次は20歳前に親方から独立し、穴開け不要のバックル「徳尾錠」と画期的な「水道自在器」で台頭、1915年不朽の傑作「シャープペンシル」(特許名は早川式繰出鉛筆)を発明すると、第一次大戦で物資不足の欧州輸出に火がつき注文殺到で急成長を遂げた。再会した実兄を招き「早川兄弟商会」を設立した早川徳次は、工場を拡張し従業員70人を擁して大量生産に乗出したが、投資回収前に関東大震災に見舞われ、九死に一生を得るも妻子と工場を失った。不屈の早川徳次は事業再開に奔走したが、日本文具製造に販売代理店契約を打切られ保証金返還を迫られ万事休す、事業と特許を取上げられ技術移転のため大坂へ移った。大坂に留まり再起を期す早川徳次は1924年現シャープ本社所在地に「早川金属工業研究所」を設立し、万年筆の部品製造で糊口を凌ぎつつ欧米で登場したばかりのラジオの国産化に挑戦、希少な輸入品を解体し職人技で部品を再現して国産初の鉱石ラジオ受信機の製作に成功した。間もなくラジオ放送が始まると輸入品の半額以下の「シャープ・ラジオ」は爆発的に売れ、遠距離受信が可能な交流式真空管ラジオも発売、満州事変後のラジオ普及本格化に乗って業績は急拡大し社名を「早川電機工業」へ改めた。ラジオで「玉音放送」が流れた後、物資不足とドッジ・ライン恐慌でラジオメーカーは80社から18社へ淘汰されたが、生延びた早川電機工業は朝鮮特需で蘇生、株式上場も果し高度経済成長の波に乗った。脱ラジオ専業を目指す早川徳次は、米国RCA社と技術移転契約を結び1953年テレビ放送開始に先立ち国産第1号テレビ(白黒)を発売、電子レンジ・電卓・太陽電池と手を広げ日本屈指の総合家電メーカーへ成長を遂げた。1970年「シャープ」への社名変更に伴い会長へ退いた早川徳次は、盲人等障害者福祉に尽力しつつ86歳まで長寿を保った。2015年現在、液晶工場への過剰投資で致命傷を負ったシャープは万策尽き果て公的資金注入を待つ身である。

史実

1893年 東京市日本橋区久松町のちゃぶ台職人早川政吉の三男に早川徳次が出生

1895年 早川徳次が肥料商出野家の養子に出され養母に虐待される

1901年 早川徳次が8歳で養家を脱出し錺屋(金属細工)職人坂田芳松に丁稚奉公

1902年 第一次日英同盟協約締結

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1904年 日露戦争開戦

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1905年 ポーツマス条約調印

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1905年 三井の越後屋が三越呉服店へ改称しデパートメントストア宣言

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1907年 北浜銀行主導で箕面有馬電気軌道(阪急電鉄)設立、岩下清周は浪人の小林一三を実質上の経営者に招聘

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1909年 年季奉公を終えた早川徳次が親方の坂田芳松のもと一人前の錺職人となる

1909年 伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)

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交遊録

佐伯旭 シャープ2代目
辻晴雄 シャープ3代目
町田勝彦 シャープ4代目
佐々木正 技術のシャープ
関正樹 ニューライフ商品戦略
浅田篤 電卓博士
小林一三 大阪財界のドン
松下幸之助 松下電器創業者
井植歳男 三洋電機創業者
井深大 ソニー創業者
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