著名自分史「東郷平八郎」

オリジナル

東郷 平八郎

とうごう へいはちろう

東郷 平八郎

1848年~1934年

40

薩摩閥海軍人として山本権兵衛海相に連合艦隊司令長官に抜擢され日露戦争の英雄となったが、軍拡反米英の「艦隊派」に肩入れし晩節を汚した「海軍の神様」

寸評

基礎点 70点 薩摩閥に連なる東郷平八郎は凡庸ながら海軍で累進し、山本権兵衛海相(同郷の後輩)の抜擢で連合艦隊司令長官となり日露戦争勝利で国民的英雄となった。ただ、山本権兵衛が見込んだ東郷平八郎の「運の良さ」はバルチック艦隊の対馬沖航路を的中させたが、海軍の筆頭殊勲者は軍政・軍令の両面を一手に担った山本であり、実戦においては「T字戦法」で有名な秋山真之参謀や勇猛な将卒の力が大きかった。予備役間近だった東郷平八郎は日露戦争勝利で一躍「生ける軍神」と崇められ軍令部総長・海軍大将元帥に栄達、一線を退いた後も死ぬまで海軍の大ボスに君臨し、世界の海軍史に名将として名を残した。
-30点 日露戦争から25年、ロンドン海軍軍縮条約を巡る「統帥権干犯問題」で、82歳の東郷平八郎元帥は伏見宮博恭王と共に加藤寛治・末次信正ら軍拡反米英派(艦隊派)に肩入れし、頼みの綱である山本権兵衛の組閣を阻んだ。「海軍の神様」の支持を得た艦隊派は国際情勢に明るい「良識派」を要職から締出して海軍の主導権を握り、陸軍に対抗するように過激化し無謀な対米開戦へ突き進んだ。さらに、海軍軍縮条約に反発する海軍将校らが起した五・一五事件で、東郷平八郎は犯人への同情論を唱え手ぬるい処分へ導いた。五・一五事件を機に志が良ければテロを是認する風潮が蔓延、味をしめた軍部や右翼は怖いもの知らずとなり、逆に殺され損の文民は引腰となった。

史実

1848年 薩摩藩士東郷実友の四男東郷平八郎が鹿児島城下加冶屋町にて出生

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1861年 薩摩藩の実権を掌握し率兵上洛を期す島津久光が人事改革を断行し反抗勢力を一掃して小松帯刀・大久保利通らを抜擢

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1862年 島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862年 薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862年 生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷

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1863年 薩英戦争、15歳の東郷平八郎が父兄に従い初陣

1864年 禁門の変

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1864年 徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864年 長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1865年 徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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交遊録

山本権兵衛 年少のボス
西郷隆盛 薩摩藩のドン
大久保利通 薩摩藩のドン
大山巌 薩摩陸軍閥のドン
西郷従道 薩摩海軍閥のドン
黒田清隆 薩摩閥の重鎮
松方正義 薩摩閥の重鎮
川村純義 薩摩閥仲間
樺山資紀 薩摩閥仲間
川上操六 薩摩閥仲間
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