著名自分史「島津久光」

オリジナル

島津 久光

しまづ ひさみつ

島津 久光

1817年~1887年

80

兄島津斉彬の公武合体運動を引継ぎ文久のクーデターを断行するが将軍徳川慶喜と決裂し討幕に踏切った薩摩藩の大御所、西郷隆盛に嫌悪され寺田屋騒動で家臣を誅殺したが大久保利通・小松帯刀を駆使した明治維新の立役者

寸評

基礎点 100点 島津久光は、薩摩藩の人事を刷新して大久保利通や小松帯刀を抜擢、率兵上洛して公武合体運動に乗出し文久のクーデターにより幕政改革を断行した。西郷隆盛ら扱いにくい島津斉彬遺臣を統御しつつ働かせた政治手腕も光る。参預会議破綻後は決然と武力討幕路線に切替え、王政復古と討幕を成遂げた。西郷や大久保に担がれた結果とはいえ、薩摩藩主としての武力討幕の決断は維新史屈指の壮挙であった。勤皇藩と認識されていた水戸藩や長州藩を含め諸藩はどこでも尊攘派と佐幕派が藩内で熾烈な主導権争いを繰広げたが、薩摩藩だけは島津久光のリーダーシップによって早い時期から挙藩一致体制ができあがっており、大久保利通や西郷隆盛は恵まれた立場で政治活動に邁進することができた。
-20点 政治的にやむを得なかったとはいえ寺田屋事件で家臣を誅殺した島津久光の汚点はぬぐいがたい。西郷隆盛の遠島処分や寺田屋騒動に象徴される「統制好き」「浪人嫌い」の島津久光の性格は次第に時流にそぐわなくなり、1864年の帰国後は政治的意欲を失って大久保利通らに担がれる存在となった。王政復古後は完全に時代に取残されて一層保守頑迷な老人となり、不平と鬱屈の日々のなか世を去った。

史実

1817年 10代薩摩藩主島津斉興の五男島津久光が江戸藩邸にて出生(生母は側室お由羅の方)、島津斉彬は8歳上の嫡兄

1818年 島津久光が種子島久道の養子となり公子(藩主の子)の待遇を受ける

1822年 島津久光が生母お由羅の方と共に鹿児島へ移され成人するまで在住

1825年 異国船打払令

1825年 島津斉興が島津久光を島津宗家に復帰させる

1825年 島津久光が重富島津家の次期当主島津忠公の娘千百子の婿養子となり薩摩藩主の資格を獲得

1830年 鍋島斉直の隠居に伴い鍋島直正が10代佐賀藩主に就任、佐賀藩の藩政改革と近代化が始まる

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1840年 アヘン戦争(~1842)

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1842年 異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

1846年 フランスが琉球の開国を要求

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交遊録

島津重豪 藩財政を破綻させた曽祖父
島津斉宣 重豪嫡子
島津斉興 父・斉宣嫡子
島津斉彬 本当は敬愛した異母兄
島津忠義 薩摩藩主を継いだ久光長子
篤姫 将軍徳川家定に入輿させた従妹
黒田長溥 重豪実子で年下の大叔父・福岡藩主
調所広郷 気の毒な能吏
西郷隆盛 憎悪した精忠組首領
大久保利通 重用した精忠組首領
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