著名自分史「大山巌」

オリジナル

大山 巌

おおやま いわお

大山 巌

1842年~1916年

80

従兄の西郷隆盛のもと薩摩藩「精忠組」の維新運動に身を投じ大砲隊指揮官として戊辰戦争で活躍、日清・日露戦争で司令官の大任を果し武勲と名声を極めた明治陸軍の首魁

寸評

基礎点 80点 大山巌は、従兄の西郷隆盛に随って薩摩藩「精忠組」の維新運動に加わり、薩英戦争を経て大砲の権威となり戊辰戦争で大活躍した。西南戦争が起ると大山巌は西郷隆盛と袂を別って大久保利通の政府軍に属し、西郷隆盛と共に篠原国幹・村田新八・桐野利秋ら有力薩摩軍人が戦死したため西郷従道と共に薩摩軍閥の首領へ浮上、16年以上も陸軍の最高位を占め、元帥陸軍大将・公爵・元老と位人身を極めた。日清戦争が起ると大山巌は陸相ながら陸軍第2軍司令官に就いて完勝を収め、日露戦争では明治天皇から陸軍総司令官の大任を託され児玉源太郎ら優秀な後輩に辣腕を振わせ勝利の大立者となった。華麗な戦歴を誇りつつ軍人に徹した大山巌は、陸軍の二大巨頭に肩を並べた山縣有朋と対照的で、陸軍内に長州閥を築き政治に干渉する山縣の悪名が増すほど、反比例するように大山の名望は高まった。

史実

1842年 薩摩藩士大山綱昌の次男大山巌が鹿児島城下加治屋町にて出生

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1850年 薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展)

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1853年 老中阿部正弘に抜擢された江川坦庵が佐賀藩主鍋島直正の技術支援を得て伊豆韮山に反射炉を設置

1858年 薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回

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1858年 月照・西郷隆盛の入水事件

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1858年 西郷隆盛が奄美大島に潜居

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1859年 島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握

1861年 薩摩藩の実権を掌握し率兵上洛を期す島津久光が人事改革を断行し反抗勢力を一掃して小松帯刀・大久保利通らを抜擢

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1862年 平野国臣が『尊攘英断録』を薩摩藩に献じ武力討幕を提案、大久保利通は追払うが有馬新七ら精忠組急進派が賛同し上洛した平野は「島津久光の討幕挙兵近し!」と吹聴し尊攘派は狂奔

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1862年 島津久光の召還命令により西郷隆盛が鹿児島に帰る

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交遊録

西郷隆盛 従兄弟にして薩摩藩のドン
篠原国幹 西郷隆盛の子分
村田新八 西郷隆盛の子分
桐野利秋 西郷隆盛の子分
辺見十郎 西郷隆盛の子分
大久保利通 薩摩藩のドン
西郷従道 従兄弟にして盟友
黒田清隆 薩摩閥仲間
松方正義 薩摩閥仲間
川村純義 薩摩閥仲間
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