著名自分史「伊東一刀斎(景久)」

オリジナル

伊東 一刀斎(景久)

いとう いっとうさい(かげひさ)

伊東 一刀斎(景久)

1560年~1628年

80

14歳で中条流の剣豪を斬殺し戸田一刀斎に入門するが師匠も圧倒、武者修行に出て33戦全勝し「払捨刀」「夢想剣」の極意を得て一刀流を創始するが相伝者の小野忠明を徳川家康に推挙し消息を絶った天才剣士

寸評

基礎点 80点 伊東一刀斎景久は、14歳で中条流の剣豪を斬殺し戸田一刀斎に入門するが師匠も圧倒、武者修行に出て33戦全勝し「払捨刀」「夢想剣」の極意を得て一刀流を創始するが相伝者の小野忠明を徳川家康に推挙し消息を絶った天才剣士である。忠明は徳川秀忠に嫌われたが一刀流は柳生新陰流と共に将軍家お家流に留まり小野忠常(忠明の後嗣)の小野派・伊藤忠也(同弟)の伊藤派・古藤田俊直の唯心一刀流に分派し発展、幕末には北辰一刀流の千葉周作・定吉兄弟(門人に新選組の山南敬助・藤堂平助・伊東甲子太郎や坂本龍馬)や江戸城無血開城に働いた山岡鉄舟(一刀正伝無刀流)を輩出し、一刀流は明治維新後の剣道界でも重きを為した。伊東一刀斎の来歴は不詳で出生地には伊豆伊東・近江堅田・越前敦賀・加賀金沢など諸説あり、伊豆大島悪郷の流人の子で泳いで脱出し三島へ辿り着いたという伝説もある。14歳のとき三島神社で富田一放(富田重政の高弟)を斃し江戸へ出て中条流(富田流)の戸田一刀斎(柳生宗厳にも教授)に入門、このとき神主から授かった宝刀「瓶割刀」を生涯愛用した。自ら「体用の間」を掴んだ伊東一刀斎は、師に挑んで3戦全勝し中条流(富田流)の秘太刀「五点」(妙剣・絶妙剣・真剣・金翅鳥王剣・独妙剣)を授かり、相模三浦三崎で唐人剣士の十官を扇子一本で倒して剣名を馳せ小野善鬼・古藤田俊直(北条家臣)ら多くの入門者が参集、廻国修行へ出た一刀斎は33度の仕合に全勝を収め「夢想剣」(鶴岡八幡宮に参籠したとき無意識で敵影を斬り開悟)「払捨刀」(情婦に騙され十数人の刺客に寝込みを襲われるが全員を斬倒し忘我の境地を体得)の極意に達し一刀流を創始した。「唯授一人」を掲げる伊東一刀斎は、愛弟子の小野善鬼と神子上典膳(小野忠明)に決闘を命じ善鬼を斃した典膳に一刀流を相伝(小金ヶ原の決闘)、1593年徳川家康の招聘を断って典膳を推挙し忽然と消息を絶った。徳川秀忠の兵法指南役に採用された小野忠明は硬骨を嫌われて生涯600石に留まり将軍秀忠・家光に重用され大和柳生藩1万2500石の大名に栄達した柳生宗矩に水を開けられたが、一刀流は繁栄を続け柳生新陰流と並ぶ隆盛を誇った。

史実

1560年 (詳細不明)前原弥五郎(伊東一刀斎景久)が伊豆伊東にて出生(他に近江堅田・越前敦賀・加賀金沢など諸説あり、伊豆大島悪郷の流人の子で少年期に泳いで脱出し手石島を経て三島へ辿り着いたという伝説もある)

1560年 [桶狭間の戦い(日本三大奇襲)]松平元康(徳川家康)の三河を属国とし武田・今川との同盟で背後を固めた駿河・遠江守護今川義元(足利将軍の一族で百万石の太守)が4万の軍勢で尾張に侵攻、20万石・兵力3千人の織田信長は籠城策を捨てて奇襲を敢行し田楽狭間で休息中の今川義元を殺害(享年42)、織田信長は天下に志を抱き、無能な嫡子今川氏真が承継した駿河国は武田・徳川・北条の好餌となる

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1560年 桶狭間敗戦を受け松平元康(徳川家康)が尾張の前線から岡崎に帰還、岡崎城と三河領を常駐管理していた今川家臣が逃げ帰り祖父松平清康以来悲願の完全独立を達成、織田方諸城を攻め潰して三河国を制圧し尾張へ侵攻、今川家に打倒織田信長を促すも煮え切らない新当主今川氏真(義元の嫡子)に愛想を尽かし、義元の元を捨てて家康に改名

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1560年 [野良田の戦い]六角義賢に従属した弱腰の浅井久政に対し嫡子浅井長政と家臣団がクーデター、久政から家督を奪った長政(このとき賢政から改名)は六角氏と手切れして諸豪を調略、愛知郡肥田城主高野備前守の寝返りに激怒し攻め寄せた六角義賢軍を撃退し浅井氏は北近江の支配権を確立、敗れた六角氏は南近江支配も脅かされ衰亡へ向かう

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1560年 眼病で視力が低下し隠居した富田勢源(中条流当主は弟の富田景政・越前朝倉氏家臣)が神道流兵法者(梅津某)の挑戦を断り切れず斎藤義龍の招きに応じて美濃稲葉山城下で立合い、勢源は小太刀の名手だが40cm足らずの薪を手に「眠り猫」の態で対すると瞬時に相手の二の腕と頭を叩き割る神業で圧勝、「無刀」を追求する勢源は佐々木小次郎少年に長大剣を持たせ更に研鑽を積む

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1561年 [小田原城の戦い]今川義元討死で甲相駿三国同盟が弱った隙を衝き長尾政虎(上杉謙信)が北条氏康討伐を号令、関東の諸城を攻め潰し10万の大軍で小田原城を攻囲するが固い籠城と武田晴信(信玄)の後方撹乱により上野国に守将を残して撤退、鎌倉鶴岡八幡宮にて上杉憲政から山内上杉家の家督と関東管領職を継ぎ上杉政虎を名乗る

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1561年 斎藤道三を殺害して美濃国を奪った斎藤義龍が病死(ハンセン病ともいわれる)、嫡子斎藤龍興が家督相続

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1561年 [第4次川中島の戦い]啄木鳥戦法を見破った上杉謙信が敵本陣に斬り込み武田信玄に一太刀浴びせるが武田軍が防戦に成功、武田軍の被害も甚大で信玄の弟武田信繁や軍師山本勘助も戦死

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1561年 武田信玄・北条氏康の猛攻を凌ぎ上杉輝虎(謙信)の関東計略を支えた上野箕輪城主長野業正が死去(享年70)し嫡子長野業盛が家督相続、武田信玄・北条氏康の猛攻を凌ぎ上杉輝虎(謙信)の関東計略を支えた上野箕輪城主長野業正が死去(享年70)し嫡子長野業盛が家督相続、「これで上野を手に入れたも同然」と勇んだ信玄は直ちに2万の大軍を率いて上野を攻めるが輝虎の来援で撤退、輝虎は佐野昌綱・成田長泰・結城晴朝らを攻め破り武蔵・下総・常陸・下野を席巻するが輝虎が帰国する度に反抗勢力が盛り返す堂々巡りに陥る、輝虎は佐野昌綱・成田長泰・結城晴朝らを攻め破り武蔵・下総・常陸・下野を席巻するが輝虎が帰国する度に反抗勢力が盛り返す堂々巡りに陥る

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1562年 [清洲同盟]三河岡崎城主の松平家康(徳川家康)が今川氏真を見限り織田信長の誘いに応じて攻守同盟締結、元康は三河の今川方諸城を攻め取り、東方の安全を確保した信長は清洲から小牧山に本城を移し美濃攻略に専念

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交遊録

中条兵庫頭長秀 中条流創始者
富田勢源 中条流継承者(富田流)
富田景政 中条流と富田家を継いだ勢源弟
富田重政 名人越後・加賀前田利家で1万3千石の知行を得た景政養嗣子
戸田一刀斎 景政高弟で伊東一刀斎・柳生宗厳の師
山崎左近将監 富田一族・山崎流開祖
長谷川宗喜 景政高弟・長谷川開祖
富田一放 伊東一刀斎が初仕合で斃した富田重政高弟
佐々木小次郎 勢源門人で巌流を興すが宮本武蔵に敗北
小野忠明(神子上典膳) 徳川秀忠の兵法指南役に採用された一刀流継承者
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