「田中 新一」の年表

年代 出来事 「田中 新一」史
一八〇〇 1837年 大塩平八郎の乱 1837年 関東軍参謀長の東條英機が察哈爾派遣兵団を率いて出陣し独断で日中戦争の戦線を拡大
1837年 モリソン号事件~アメリカ商船を異国船打払令に基づき砲撃
1837年 徳川家慶が12代将軍就任
1837年 12代長州藩主毛利斉広の急死に伴い毛利敬親(11代藩主毛利斉元の嫡子)が13代藩主を承継
1837年 プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)創業
1838年 村田清風が長州藩庁の実権を握り藩政改革を断行
1838年 緒方洪庵が大阪瓦町で医師開業、適々斎塾(適塾)を開く
1839年 蛮社の獄~渡辺崋山や高野長英らの鎖国政策批判への弾圧
1840年 アヘン戦争(~1842)
1841年 天保の改革(~1845)~老中水野忠邦による重農主義復古政策
1842年 異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
1842年 南京条約
1843年 上海開港
1844年 オランダ国王特使の開国勧告を幕府が無視
1845年 水野忠邦が罷免され、開明派の阿部正弘が老中首座となる
1846年 統仁親王(孝明天皇)即位、幕府に海防の充実を要望する
1846年 アメリカのピットル艦隊が浦賀に来航し開国を打診
1846年 フランスが琉球の開国を要求
1848年 1848年革命~欧州全域に民主主義的ナショナリズムが台頭
1849年 ファイザー創業
1850年 薩摩藩で島津斉彬の襲封を支持する西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展)
1850年 佐賀藩が日本初の反射炉の実証炉を建設し洋式砲の鋳造を開始
1850年 井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
1850年 太平天国の乱(~1864)
1851年 島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手
1852年 ジョン万次郎が琉球に上陸、島津斉彬の謁見を経て、土佐藩に仕官
1852年 彦根藩主井伊直弼が長野主膳を知行150石で藩士に召抱え藩校弘道館の国学教授に任じる
1853年 [ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付
1853年 徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任
1853年 幕府がペリー艦隊への対処法について大規模な世論調査を実施
1853年 海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁
1853年 徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発
1853年 老中阿部正弘に抜擢された江川坦庵が佐賀藩主鍋島直正の技術支援を得て伊豆韮山に反射炉を設置
1854年 ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される
1855年 安政の大地震、徳川斉昭のブレーン藤田東湖が圧死
1855年 日蘭和親条約締結
1855年 日露和親条約締結~国境線を画定
1855年 徳川斉昭の要求により南紀派の老中松平乗全・忠固を更迭、堀田正睦が老中首座就任
1855年 幕府がオランダから蒸気船観光丸の寄贈を受け長崎に海軍伝習所を開設、旗本の勝海舟ら1期生が入学
1856年 クリミア戦争終結・欧州ウィーン体制崩壊
1856年 アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが着任
1856年 アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争
1856年 長州藩主毛利敬親の尊攘方針により周布政之助らが要路に就く
1856年 水戸藩の石川島造船所(IHIの前身)が洋式帆船「旭日丸」を建造し幕府に献上
1857年 吉田松陰の門人が増えたため杉家邸内に塾舎を設置し(松陰神社内に現存)叔父の玉木文之進から「松下村塾」の塾名を承継
1857年 ハリスが将軍徳川家定に拝謁、日米修好通商条約を要求
1857年 阿部正弘死去
1858年 老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)
1858年 井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)
1858年 幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)
1858年 徳川家茂が14代将軍就任、一橋派が将軍継嗣問題に敗北
1858年 薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回
1858年 梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す
1858年 吉田松陰が野山獄に再投獄され松下村塾は廃止
1858年 福澤諭吉が築地鉄砲洲の中津藩中屋敷で蘭学塾を開講(慶應義塾の起源)
1859年 神奈川・長崎・函館開港
1859年 安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行
1859年 安政の大獄により吉田松陰・橋本佐内・梅田雲浜らが処刑される
1859年 イギリス総領事ラザフォード・オールコックが着任
1859年 島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握
1860年 清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に
1860年 ロシアがウラジオストック建設
1860年 幕府が通商条約批准のための遣米使節を派遣、勝海舟艦長の咸臨丸が同行(随員に福澤諭吉ら)
1860年 桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)
1860年 長州藩と水戸藩が幕政改革の盟約(成破の盟約)
1860年 徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免
1860年 ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
1860年 幕府と攘夷派の間で兵庫開港問題が過熱
1860年 宇和島藩士で幕府講武所教授の大村益次郎が木戸孝允の招聘で故郷の長州藩へ転籍、最先端の西洋知識で洋式軍制改革を推進
1861年 アメリカ南北戦争(~1865)
1861年 武市半平太が土佐藩郷士を糾合し土佐勤皇党を結成、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・岡田以蔵ら192人が加盟
1861年 和宮降嫁の勅許、薩長土の尊攘派志士が三藩主上洛を約束
1861年 長井雅楽の航海遠略策が藩論となり長州藩が公武周旋に乗出すが吉田松陰門下の木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞らは猛反対
1861年 薩摩藩の実権を掌握し率兵上洛を期す島津久光が人事改革を断行し反抗勢力を一掃して小松帯刀・大久保利通らを抜擢
1862年 幕府が第一回遣欧使節を派遣(文久遣欧使節)しロンドン覚書に調印(随員に福澤諭吉・福地源一郎・寺島宗則・箕作秋坪ら)
1862年 坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃
1862年 和宮降嫁~孝明天皇妹宮の和宮親子内親王と将軍徳川家茂の婚礼
1862年 武市半平太の土佐勤皇党が佐幕派の執政吉田東洋を暗殺し藩政を掌握、土佐藩主山内容堂は怒りを堪え黙認
1862年 平野国臣が『尊攘英断録』を薩摩藩に献じ武力討幕を提案、大久保利通は追払うが有馬新七ら精忠組急進派が賛同し上洛した平野は「島津久光の討幕挙兵近し!」と吹聴し尊攘派は狂奔
1862年 長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる
1862年 高杉晋作が幕府使節の随員として上海へ渡航
1862年 島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清
1862年 薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む
1862年 長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換
1862年 久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責
1862年 生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
1862年 京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発
1862年 武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉
1862年 高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士が神奈川外人襲撃を企てるが土佐藩の横槍で中止
1862年 高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士がイギリス公使館焼き討ち
1862年 会津藩主松平容保が京都守護職として入洛
1863年 長州藩で久坂玄瑞・木戸孝允・高杉晋作ら尊攘派が実権を掌握し公武合体派の長井雅楽が自害
1863年 京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成
1863年 長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束
1863年 松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
1863年 長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍
1863年 青蓮院宮から令旨の一件を聞いた山内容堂が土佐へ戻り吉田東洋暗殺犯の捜索と土佐勤皇党の粛清を開始
1863年 長州藩の伊藤博文・井上馨・山尾庸三・野村弥吉・遠藤謹助がイギリス留学(長州ファイブ)
1863年 長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進
1863年 尊攘派公卿の姉小路公知が暗殺される
1863年 攘夷親征計画(大和行幸)
1863年 福井藩の松平春嶽・横井小楠が挙藩上洛計画を企てるが中根雪江ら守旧派の反対で決行直前に中止
1863年 中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変
1863年 薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復、賠償金は幕府が負担
1863年 八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解
1863年 島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現
1863年 山内容堂が武市半平太ら土佐勤皇党幹部を投獄
1863年 三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開
1863年 河上弥市・平野国臣らによる生野の変
1863年 オールコックがイギリスで『大君の都』を刊行
1863年 長州藩で世子毛利定広の上洛決定、真木和泉の扇動により出兵論が過熱
1863年 将軍徳川家茂が二度目の上洛
1864年 参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折
1864年 フランス公使レオン・ロッシュ着任
1864年 徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る
1864年 天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解
1864年 幕府が神戸海軍操練所を開設し勝海舟は軍艦奉行・2千石に昇進
1864年 池田屋事件
1864年 洋式兵学者の佐久間象山が河上彦斎ら攘夷狂に暗殺される(妹を嫁がせた勝海舟は「蓋世の英雄」と惜しむ)
1864年 禁門の変、禁裏御守衛総督徳川慶喜・京都守護職松平容保の指揮のもと薩会連合軍が長州軍を撃退し一会桑政権樹立
1864年 徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行
1864年 馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる
1864年 西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換
1864年 長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)
1864年 長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導
1864年 高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)
1865年 高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回
1865年 禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握
1865年 徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令
1865年 西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立
1865年 山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅
1865年 イギリス公使ハリー・パークス着任
1865年 薩摩藩が五代友厚・寺島宗則・森有礼らを西欧視察に派遣
1865年 幕府がフランスからの借款で横須賀製鉄所起工
1865年 徳川慶喜が長崎・横浜・函館開港の勅許を獲得
1865年 長州藩が亀山社中を介して大量の洋式武器とユニオン号を購入
1866年 薩長同盟
1866年 日本人の海外渡航が正式に認められる
1866年 島津久光が薩英戦争に敗れた薩摩藩の小松帯刀がイギリスに急接近、島津久光がイギリス公使パークスを鹿児島に招待し友好関係を確認
1866年 徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶
1866年 高杉晋作が大島口奇襲で勝利
1866年 大村益次郎が浜田城制圧
1866年 高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)
1866年 将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
1866年 徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉
1866年 徳川慶喜が15代将軍就任
1866年 孝明天皇崩御
1866年 安田善次郎が日本橋小舟町に店舗を購入、安田商店に改称し両替専業となり、幕府の古金銀回収取扱方を務める
1866年 ネスレ設立
1867年 大倉喜八郎が大倉銃砲店開業、官軍御用達となり巨利を得る
1867年 睦仁親王(明治天皇)即位
1867年 孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
1867年 坂本龍馬が長崎で後藤象二郎と会談、後藤は上海へ視察旅行
1867年 徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く
1867年 坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編
1867年 高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
1867年 海援隊のいろは丸が紀州藩船と衝突し沈没
1867年 島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
1867年 京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催
1867年 将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める
1867年 坂本龍馬が後藤象二郎に「夕顔丸」船上で船中八策を提案
1867年 薩土密約
1867年 薩土同盟
1867年 中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成
1867年 ええじゃないか騒動が始まる
1867年 土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出
1867年 西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち
1867年 徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
1867年 大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す
1867年 朝廷が幕府の大政奉還を勅許
1867年 西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
1867年 薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約
1867年 薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
1867年 長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
1867年 坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去
1867年 王政復古の大号令
1867年 三職の設置
1867年 長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰
1867年 小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決
1867年 大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
1867年 中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成
1868年 鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
1868年 徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る
1868年 土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮
1868年 陸奥宗光の献策により維新政府が外交団と協議、各国は局外中立を表明
1868年 大久保利通が大阪遷都建白書を提出
1868年 明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
1868年 西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される
1868年 徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎し主戦派の松平容保・松平定敬・小栗忠順らを江戸から追放し恭順派の勝海舟に全権委任、徳川家達に徳川宗家の家督を譲る
1868年 木戸孝允の主導により明治天皇が五箇条の御誓文を公布
1868年 神仏分離令、廃仏毀釈が始まる
1868年 東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
1868年 甲州勝沼の戦いで板垣退助の東山道軍が近藤勇・土方歳三の甲陽鎮撫隊を撃破、近藤は板橋刑場で斬首され京都三条河原に首を晒される
1868年 奥羽越列藩同盟が成立
1868年 西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅
1868年 官軍が高崎市に隠遁した小栗忠順を襲い斬首
1868年 木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾
1868年 明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都
1868年 太政官設置
1868年 江戸を東京と改称する
1868年 河井継之助の長岡藩が降伏
1868年 明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
1868年 旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没
1868年 明治天皇即位礼、明治に改元
1868年 板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居
1868年 盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
1869年 土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結
1869年 王政復古の賞典禄下賜
1869年 版籍奉還
1869年 四民平等~華族・士族・平民の三身分制の実施
1869年 奇兵隊などの長州藩諸隊の廃止に伴い脱退騒動が起るが木戸孝允は武力鎮圧を断行し130余人を処刑
1869年 兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)
1869年 新政府が北海道に開拓使を設置、旧佐賀藩主で議定の鍋島直正が蝦夷開拓総督・初代開拓使長官に就任するがすぐに転任し黒田清隆が後継
1869年 ゴールドマン・サックス創業
1870年 ジョン・ロックフェラーがスタンダード・オイル設立
1870年 国内初の日刊紙・横浜毎日新聞創刊
1870年 イタリア統一
1871年 ドイツ帝国成立
1871年 明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設
1871年 郵便制度開始
1871年 新貨条例布告、円が通貨単位となる
1871年 陸奥宗光の紀州藩政改革により「陸奥王国」が現出
1871年 廃藩置県
1871年 日清修好条規調印
1871年 岩倉使節団派遣
1872年 明治政府が初の戸籍を作成
1872年 井上馨・渋沢栄一の主導で銀座煉瓦街の建設が始まる
1872年 司法省に警保寮を設置(警察組織の発足)
1872年 木戸孝允文部卿の主導により学制制定
1872年 明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置
1872年 明治天皇の西国巡幸
1872年 新橋-横浜間に鉄道が開通
1872年 渋沢栄一の主導で官営工場富岡製糸場操業開始
1872年 渋沢栄一の主導で三井小野組合銀行(後の第一国立銀行)が設立され国立銀行条例制定
1872年 山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走
1872年 日本独自の海運網整備のため明治政府が政商連合に日本国郵便蒸気船会社を設立させる
1872年 太陽暦が採用される
1873年 徴兵令布告
1873年 岩崎弥太郎が三菱商会を設立
1873年 キリスト教解禁
1873年 地租改正法・地租改正条例布告
1873年 岩倉使節団が帰国
1873年 明治六年政変
1873年 内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)
1873年 最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる
1873年 江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
1874年 愛国公党が政府に『民撰議院設立建白書』を提出
1874年 佐賀の乱
1874年 西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野
1875年 黒田清隆開拓使長官の主導により榎本武揚駐露特命全権公使が樺太・千島交換条約を締結
1875年 江華島事件
1875年 讒謗律・新聞紙条例公布
1875年 大久保利通政府が岩崎弥太郎の三菱商会を保護育成会社に指定、日本国郵便蒸気船会社を吸収した郵便汽船三菱会社が海運業を独占
1876年 大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結
1876年 事実上、金銀複本位制が確立
1876年 廃刀令布告
1876年 秩禄処分
1876年 神風連の乱
1876年 秋月の乱
1876年 萩の乱
1876年 国立銀行条例改正、国立銀行の隆盛が始まる
1876年 三井銀行および三井物産設立
1876年 安田善次郎が第三国立銀行を設立し「銀行王」への道を踏出す
1877年 西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)
1877年 木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
1877年 第一回内国勧業博覧会開催
1877年 イギリス領インド帝国成立
1877年 東京開成学校と東京医学校が統合され東京大学創立
1878年 大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
1878年 福地源一郎・渋沢栄一ら有力財界人の出願により東京株式取引所設立
1878年 会頭渋沢栄一と大倉喜八郎が発起人となり東京商法会議所(商工会議所)発足
1878年 参謀本部設置
1878年 トーマス・エジソンがエジソン電気照明会社設立(GEの前身)
1879年 琉球処分
1879年 玄洋社設立
1879年 伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任
1880年 板垣退助ら土佐派が国会期成同盟結成
1881年 開拓使官有物払下げ事件
1881年 大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協
1881年 自由党結成
1881年 松方正義が参議兼大蔵卿に就任し松方財政が始まる
1881年 日本鉄道会社設立
1882年 軍人勅諭公布
1882年 板垣退助遭難事件
1882年 福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ
1882年 朝鮮で壬午事変
1882年 西郷従道・黒田清隆ら薩摩閥と井上馨が三菱潰しのため共同運輸会社を設立
1882年 松方正義主導で日本銀行開業、安田善次郎・三野村利助が創立事務御用掛を務める
1882年 大隈重信が東京専門学校創立(早稲田大学)
1882年 集会条例改定、自由民権運動が激化
1882年 伊藤博文が立憲制視察のため渡欧
1882年 渋沢栄一主導で大阪紡績(現東洋紡)株式会社設立、紡績業の発展を牽引
1883年 鹿鳴館完成~外務卿井上馨の条約改正交渉
1884年 大山巌団長の軍事調査団が渡欧、桂太郎・川上操六も随行
1884年 華族令公布
1884年 松方デフレによる不況深刻化
1884年 秩父事件
1884年 朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援
1885年 福澤諭吉が「脱亜論」を発表
1885年 大阪事件
1885年 銀本位制に移行
1885年 西郷従道農商務卿の和解勧告を岩崎弥之助が受入れ共同運輸会社が郵便汽船三菱会社を併合し日本郵船会社が発足
1885年 第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始)
1886年 岩崎弥之助が三菱社設立
1886年 学校令公布
1886年 ノルマントン号事件
1886年 民権諸派の大同団結運動が始まる(発起人の後藤象二郎は黒田清隆内閣に懐柔される)
1886年 藤岡市助・大倉喜八郎らが東京電燈(現東京電力)設立、全国各地で電力普及が進む
1886年 コカ・コーラ創業
1886年 企業勃興~起業ブームが始まる
1887年 徳富蘇峰が民友社結成、『国民之友』創刊
1887年 保安条例
1887年 鹿鳴館外交と条約改正に失敗した井上馨が外務大臣を辞任、伊藤博文首相が兼務ののち大隈重信へ交代
1887年 ジョンソン・エンド・ジョンソン設立
1887年 安田善次郎が安田家の資産管理会社「安田保善社」設立
1888年 市制・町村制公布
1888年 伊藤博文が枢密院を設立し初代議長に就任
1888年 黒田清隆内閣発足
1888年 鎮台制を師団制に改編
1889年 大日本帝国憲法発布
1889年 民法典論争が起る
1889年 川上操六がドイツから帰国し参謀本部次長に復職、独軍参謀総長モルトケ直伝のドイツ式軍制改革や参謀本部強化を推進
1889年 東海道本線が全通(新橋-神戸間)
1889年 大隈重信外相が玄洋社来島恒喜に襲撃される
1890年 第一次山縣有朋内閣発足
1890年 岩村通俊に代わって陸奥宗光が農商務大臣就任、陸奥は原敬を重用
1890年 府県制・郡制公布
1890年 第一回衆議院総選挙で民党が過半数を獲得
1890年 教育勅語発令
1890年 第一回帝国議会開催
1890年 北里柴三郎が破傷風の血清療法を発明、ベーリングと共同でジフテリアに応用
1890年 東京・横浜で電話サービス開始
1891年 吉田松蔭・高杉晋作・久坂玄瑞・周布政之助・武市半平太・中岡慎太郎・坂本龍馬・吉村寅太郎・平野国臣・有馬新七・宮部鼎蔵ら明治維新の功労者に追贈正四位(有馬のみ従四位)
1891年 足尾銅山鉱毒事件
1891年 山本権兵衛が西郷従道海相のもと海軍省大臣官房主事に就き海軍の分離独立改革を断行
1891年 第一次松方正義内閣発足
1891年 内村鑑三不敬事件
1891年 大津事件
1891年 帝政ロシアがシベリア鉄道起工
1892年 北里柴三郎がドイツ留学から帰国、福澤諭吉・森村市左衛門の援助により伝染病研究所(北里研究所の前身)設立
1892年 第二回衆議院総選挙、松方正義政府が大選挙干渉するも民党勝利
1892年 第二次伊藤博文内閣発足
1893年 海軍軍令部設置 1893年 田中寅五郎(家系は越後村松藩士)の嫡子として北海道釧路にて出生
1893年 政府が官営富岡製糸場を三井へ払下げ
1893年 アメリカがハワイを併合
1894年 不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃)
1894年 朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発
1894年 日清戦争勃発
1895年 下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立
1895年 三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求
1895年 台湾総督府設置
1895年 朝鮮で親ロシア政権誕生、閔妃殺害事件
1896年 露清密約、ロシアが清から東清鉄道敷設権を獲得
1896年 豊田佐吉が動力織機「豊田式木鉄混製力織機」を発明し繊維業界を席巻(2年後特許取得)
1896年 アテネで近代オリンピック第1回大会開催
1896年 アジア諸国からの留学生受入れ開始(周恩来、蒋介石、魯迅、朴正煕等)
1896年 第二次松方正義内閣発足
1896年 エフ・ホフマン・ラ・ロシュ設立
1897年 松方正義首相・岩崎弥之助日銀総裁が貨幣法を制定し金本位制移行を断行
1897年 朝鮮が大韓帝国と改称
1898年 列強による清の植民地争奪競争が激化
1898年 第三次伊藤博文内閣発足
1898年 憲政党結成~2大民党の合同
1898年 第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足~初の政党内閣
1898年 明治民法施行
1898年 第二次山縣有朋内閣発足
1898年 アメリカが米西戦争に勝利、フィリピンを領有
1898年 清で康有為の戊戌の変法が挫折
1898年 キュリー夫妻がラジウム(放射能)を発見
1899年 地租増徴
1899年 文官任用令改定
1899年 台湾銀行設立
一九〇〇 1900年 治安警察法公布
1900年 軍部大臣現役武官制制定
1900年 北清事変
1900年 立憲政友会結成
1900年 第四次伊藤博文内閣(政友会)発足
1900年 台湾製糖会社設立
1901年 官営八幡製鉄所操業
1901年 社会民主党結成
1901年 第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足~桂園時代始まる
1901年 北京議定書調印
1901年 ロシアが日本に韓国中立化構想を提案、日露協商派と対露強硬派が対立
1901年 田中正造が足尾鉱毒問題を天皇に直訴
1901年 北里柴三郎が第1回ノーベル医学生理学賞の候補となるが共同研究者のベーリングが単独受賞
1902年 第一次日英同盟協約締結
1903年 岩崎弥之助の援助により大隈重信の東京専門学校が早稲田大学に昇格
1903年 幸徳秋水らが平民社を結成、『平民新聞』創刊
1903年 ライト兄弟が初の動力飛行に成功
1903年 ロシアが満州撤兵不履行、日露協商(満韓交換論)交渉決裂
1904年 仁川沖海戦
1904年 日露戦争開戦
1904年 伊藤博文が金子堅太郎を対米工作に派遣
1904年 井上馨の依頼を受け高橋是清が日露戦費調達のため渡欧米
1904年 第一次日韓協約締結
1904年 遼陽会戦
1905年 旅順攻略
1905年 血の日曜日事件~ロシア革命が始まる
1905年 奉天会戦
1905年 孫文が東京で中国同盟会を結成
1905年 日本海海戦
1905年 帝政ロシアで戦艦ポチョムキンの反乱
1905年 第二次日英同盟協約締結
1905年 ポーツマス条約調印
1905年 桂太郎政府がアメリカと桂・タフト協定
1905年 日比谷焼打事件
1905年 三井の越後屋が三越呉服店へ改称しデパートメントストア宣言
1906年 第一次西園寺公望内閣(政友会)発足
1906年 第二次日韓協約締結、日本が朝鮮を保護国化し文治派の伊藤博文が初代韓国統監に就任
1906年 井上勝・桂太郎ら長州閥主導で鉄道国有法が成立し幹線鉄道国有化
1906年 南満州に関東都督府設置
1906年 南満州鉄道会社(満鉄)設立・後藤新平が初代総裁就任、アメリカの干渉が始まる
1907年 北浜銀行主導で箕面有馬電気軌道(阪急電鉄)設立、岩下清周は浪人の小林一三を実質上の経営者に招聘
1907年 韓国軍隊解散、ハーグ密使事件、第三次日韓協約締結
1907年 第一次日露協約締結
1907年 ロイヤル・ダッチ・シェル設立
1908年 第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足
1908年 東洋拓殖会社設立
1909年 アメリカが満鉄の中立化を提唱
1909年 三井合名会社設立
1909年 伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)
1909年 BP創業
1909年 日本の製糸業輸出が世界一となる
1910年 大逆事件
1910年 伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化
1910年 鮎川義介が大叔父井上馨の援助により戸畑鋳物株式会社(日立金属の前身)設立
1910年 小平浪平が久原房之助の出資を得て日立鉱山傘下に日立製作所創業
1911年 不平等条約改正で完全平等達成(関税自主権の完全回復)
1911年 工場法制定~初の労働者保護法
1911年 警視庁に特別高等課設置
1911年 出光佐三が北九州市に出光商会を設立し日本石油特約店として機械油小売業を開始(出光興産創業)
1911年 IBM創業
1911年 第二次西園寺公望内閣(政友会)発足
1911年 平塚雷鳥が青鞜社を結成し『青鞜』創刊
1911年 中国で辛亥革命勃発
1912年 孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡
1912年 日本がオリンピックに初参加(ストックホルム大会)
1912年 明治天皇が崩御し大正天皇が即位
1912年 二個師団増設問題、陸軍が軍部大臣現役武官制を楯に西園寺公望内閣を倒す
1912年 第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足
1913年 桂太郎の立憲同志会発足、西園寺公望から寝返った加藤高明が加盟し外相就任 1913年 武藤章・田中新一が陸軍士官学校(25期)卒業
1913年 第一次護憲運動、大正政変
1913年 第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足
1913年 軍部大臣現役武官制緩和
1913年 小林一三の箕面有馬電気軌道(阪急)が宝塚新温泉内に「宝塚唱歌隊」結成(「宝塚歌劇団」へ改称)
1913年 米カリフォルニア州で日本人による農地売買が禁止される、他州も追随
1914年 シーメンス事件、第一次山本権兵衛内閣が退陣し山本および斎藤実海相が予備役編入 1914年 第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫
1914年 第二次大隈重信内閣(同志会)発足 1914年 大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
1914年 孫文が東京で中国革命党(後の国民党)を結成
1914年 第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫
1914年 大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
1914年 パナマ運河開通
1915年 大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告 1915年 大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告
1915年 井上馨死去
1915年 日本が漢冶萍公司の支配権を掌握
1915年 大戦景気により東京株式市場暴騰
1915年 全国高校野球大会が始まる
1916年 吉野作造が民本主義を提唱~大正デモクラシーの萌芽
1916年 寺内正毅内閣(長州・陸軍)発足
1916年 非政友会政党が合同し憲政会発足・同志会の加藤高明が総裁に就任
1917年 イギリスの強要により日本海軍の艦隊が地中海へ出動 1917年 レーニンらボルシェヴィキがロマノフ朝ロシアを滅ぼし世界初の社会主義政権を樹立(ロシア革命)
1917年 レーニンらボルシェヴィキがロマノフ朝ロシアを滅ぼし世界初の社会主義政権を樹立(ロシア革命)
1917年 石井・ランシング協定
1918年 豊田佐吉の豊田自働織布工場が豊田紡織株式会社へ改組(現トヨタ紡織) 1918年 第一次世界大戦終結
1918年 松下幸之助が大阪市福島区大開で義弟の井植歳男らと松下電気器具製作所(パナソニック)を創業し改良ソケットで成長
1918年 ウィルソン米大統領が十四カ条の平和綱領発表
1918年 ソビエト政権がドイツと休戦協定(ブレスト・リトフスク条約調印)
1918年 インフレ進行で小作争議が蔓延し「米騒動」で寺内正毅内閣退陣
1918年 渋沢栄一の後援を得て五島慶太が田園都市株式会社(現東京急行電鉄)設立
1918年 シベリア出兵
1918年 原敬内閣(政友会)発足
1918年 「量子論の父」マックス・プランクがノーベル物理学賞受賞
1918年 第一次世界大戦終結
1918年 ドイツ革命、皇帝ヴィルヘルム二世亡命
1919年 朝鮮で三・一独立運動が起る 1919年 パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)
1919年 中国で五・四運動始まる 1919年 寺内正毅死去
1919年 パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)
1920年 松田重次郎がマツダ創業 1920年 国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す
1920年 安田善次郎の保有株一斉売却で株式相場が暴落、安田は安値買戻しと満鉄株引受で巨利を得る 1920年 鮎川義介が久原財閥を承継し日産コンツェルンを形成
1920年 国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す
1920年 第一回国勢調査
1920年 鮎川義介が久原財閥を承継し日産コンツェルンを形成
1920年 日本が初めて債権国となる
1921年 安田善次郎が大磯の別荘で右翼生年に刺殺される 1921年 宮中某重大事件、山縣有朋の権威失墜
1921年 「現代物理学の父」アルベルト・アインシュタインがノーベル物理学賞受賞 1921年 バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる
1921年 神戸三菱・川崎両造船所ストライキ(戦前最大規模の労働争議) 1921年 アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる
1921年 小松製作所創業 1921年 加藤友三郎海相・幣原喜重郎駐米大使がワシントン海軍軍縮条約調印を断行
1921年 中国共産党結成
1921年 バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる
1921年 原敬首相が東京駅で暴漢に刺殺される(享年65)、高橋是清が政友会総裁を継ぐ
1921年 高橋是清内閣(政友会)発足
1921年 アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる
1921年 加藤友三郎海相・幣原喜重郎駐米大使がワシントン海軍軍縮条約調印を断行
1922年 陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去 1922年 陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去
1922年 加藤友三郎内閣(海軍)発足 1922年 加藤友三郎首相が日本軍のシベリア撤兵を断行
1922年 加藤友三郎首相が日本軍のシベリア撤兵を断行
1922年 ソビエト社会主義共和国連邦樹立、スターリンが最高指導者となる
1923年 石橋正二郎の日本足袋がゴム底「アサヒ地下足袋」を発売し作業現場の定番品となる 1923年 関東大震災
1923年 関東大震災 1923年 田中新一が陸軍大学校(35期)卒業
1923年 第二次山本権兵衛内閣(海軍)発足
1923年 ウォルト・ディズニー・カンパニー創業
1923年 虎ノ門事件
1924年 清浦奎吾内閣(貴族院)発足
1924年 レーニン死去、スターリンがソ連の独裁権確立
1924年 第一次国共合作
1924年 護憲三派による第二次護憲運動
1924年 加藤高明内閣(憲政会)発足
1924年 早川徳次が大阪阿倍野に早川金属工業研究所を設立(シャープ創業)、国産初の安価な鉱石ラジオで急成長
1924年 イタリアでファシスト党のムッソリーニが独裁政権樹立
1924年 アメリカ政府が排日移民法施行
1925年 豊田佐吉・豊田喜一郎の父子が「無停止杼換式自動織機(G型自動織機)」を発明し特許取得 1925年 日ソ基本条約調印、国交樹立
1925年 日ソ基本条約調印、国交樹立 1925年 陸軍の永田鉄山の主導により軍事教練が始まる
1925年 東京放送局がラジオ放送開始
1925年 治安維持法制定
1925年 陸軍の永田鉄山の主導により軍事教練が始まる
1925年 高橋是清に代わって田中義一が政友会総裁就任
1925年 普通選挙法制定
1925年 野間清司の大日本雄弁会(現講談社)が大衆誌『キング』を創刊し150万部を記録(1957年廃刊)
1926年 第一次若槻禮次郞内閣(憲政会)発足 1926年 孫文の死に伴い蒋介石が広東の国民政府を掌握し北伐開始
1926年 孫文の死に伴い蒋介石が広東の国民政府を掌握し北伐開始 1926年 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
1926年 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
1927年 片岡直温蔵相の失言により金融恐慌が発生 1927年 永田鉄山らが陸軍内に「二葉会」を結成
1927年 蒋介石が南京国民政府を樹立、第一次国共合作崩壊 1927年 鈴木貞一・石原莞爾らが陸軍内に「木曜会」を結成
1927年 田中義一内閣(長州・陸軍・政友会)発足
1927年 永田鉄山らが陸軍内に「二葉会」を結成
1927年 憲政会と政友本党が合同して立憲民政党が発足
1927年 高橋是清蔵相が金融恐慌を沈静化、高橋は蔵相を依願退職
1927年 第一次山東出兵開始~蒋介石の北伐再開
1927年 鈴木貞一・石原莞爾らが陸軍内に「木曜会」を結成
1928年 陸軍中央で「満蒙領有」方針が現れる 1928年 陸軍中央で「満蒙領有」方針が現れる
1928年 蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了 1928年 蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了
1928年 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる 1928年 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる
1928年 張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化 1928年 張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化
1928年 石原莞爾が関東軍作戦参謀に就任 1928年 石原莞爾が関東軍作戦参謀に就任
1928年 八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む 1928年 田中新一がソ連・ポーランド駐在
1929年 東京石川島造船所(現IHI)から石川島自動車製造所(現いすゞ自動車)が独立 1929年 永田鉄山の二葉会に木曜会が合流し「一夕会」が発足
1929年 永田鉄山の二葉会に木曜会が合流し「一夕会」が発足 1929年 濱口雄幸内閣(民政党)発足、宇垣一成が陸軍大臣就任(阿部信行が一時臨時代理)
1929年 トーキー映画が日本上陸し映画産業が興隆 1929年 軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆
1929年 濱口雄幸内閣(民政党)発足 1929年 世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復
1929年 軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆 1929年 農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける
1929年 世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復
1929年 農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける
1930年 金解禁(金本位制復帰) 1930年 幣原喜重郎外相と海軍条約派がロンドン海軍軍縮条約調印を断行
1930年 幣原喜重郎外相と海軍条約派がロンドン海軍軍縮条約調印を断行 1930年 鳩山一郎・犬養毅ら政友会が統帥権干犯問題を引起し東郷平八郎・伏見宮博恭王を担ぐ艦隊派(軍拡反米英派)が海軍主流となる
1930年 鳩山一郎・犬養毅ら政友会が統帥権干犯問題を引起し東郷平八郎・伏見宮博恭王を担ぐ艦隊派(軍拡反米英派)が海軍主流となる 1930年 濱口雄幸首相銃撃事件
1930年 濱口雄幸首相銃撃事件
1930年 山本五十六が海軍航空本部技術部長就任、航空兵力拡充を推進
1931年 第二次若槻禮次郞内閣(民政党)発足 1931年 第二次若槻禮次郞内閣(民政党)発足、南次郎:が陸軍大臣就任
1931年 永田鉄山軍事課長ら「五課長会」が「満蒙問題解決方策の大綱」を決定し関東軍へ「1年間の隠忍自重方針」を通達 1931年 永田鉄山軍事課長ら「五課長会」が「満蒙問題解決方策の大綱」を決定し関東軍へ「1年間の隠忍自重方針」を通達
1931年 石橋正二郎が久留米市にブリッヂストンタイヤ株式会社(現ブリヂストン)設立 1931年 中村震太郎大尉殺害事件、万宝山事件、陸軍首脳が武力解決を決意
1931年 中村震太郎大尉殺害事件、万宝山事件、陸軍首脳が武力解決を決意 1931年 関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発
1931年 関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発 1931年 朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認
1931年 朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認 1931年 軍事費の急増が始まる
1931年 軍事費の急増が始まる 1931年 新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延
1931年 新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延 1931年 石原莞爾ら満州事変首謀者が「満蒙問題解決案」を策定
1931年 石原莞爾ら満州事変首謀者が「満蒙問題解決案」を策定 1931年 十月事件
1931年 十月事件 1931年 若槻禮次郞内閣が満州国建国方針を決定
1931年 若槻禮次郞内閣が満州国建国方針を決定 1931年 犬養毅内閣(政友会)発足、一夕会系の荒木貞夫が陸相就任
1931年 外相退任の幣原喜重郎が隠退し対英米協調・対中不干渉の「幣原外交」が終焉
1931年 犬養毅内閣(政友会)発足、一夕会系の荒木貞夫が陸相就任
1932年 関東軍が満州全域を制圧 1932年 関東軍が満州全域を制圧
1932年 第一次上海事変 1932年 第一次上海事変
1932年 軍拡反米英派(艦隊派)首領の伏見宮博恭王が海軍軍令部長(総長へ改称)就任(~1941) 1932年 軍拡反米英派(艦隊派)首領の伏見宮博恭王が海軍軍令部長(総長へ改称)就任(~1941)
1932年 血盟団事件 1932年 血盟団事件
1932年 満州国建国 1932年 満州国建国
1932年 国際連盟が満州国にリットン調査団を派遣 1932年 国際連盟が満州国にリットン調査団を派遣
1932年 上海天長節爆弾事件 1932年 上海天長節爆弾事件
1932年 五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉 1932年 五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉
1932年 斎藤実内閣(海軍)発足 1932年 斎藤実内閣(海軍)発足、荒木貞夫が陸相・林銑十郎が教育総監・真崎甚三郎が参謀次長に就任し陸軍三長官を一夕会系が独占
1932年 斎藤実内閣が満州国を承認 1932年 斎藤実内閣が満州国を承認
1932年 第一次武装移民団が満州入植し満蒙開拓移民が始まる 1932年 田中新一が関東軍参謀就任
1932年 満州事変後の軍拡で重工業生産が急拡大し景気がV字回復 1932年 第一次武装移民団が満州入植し満蒙開拓移民が始まる
1932年 日本の紡績業輸出が世界一のイギリスに並ぶ 1932年 満州事変後の軍拡で重工業生産が急拡大し景気がV字回復
1933年 ナチスのヒトラーがドイツ首相就任 1933年 松岡洋右首席全権が国際連盟総会で脱退劇を演じ斎藤実政府は満州撤退勧告を拒否
1933年 フランクリン・ルーズベルト(共和党)が米大統領就任(~1945)、ニューディール政策開始 1933年 重光葵が外務次官就任
1933年 松岡洋右首席全権が国際連盟総会で脱退劇を演じ斎藤実政府は満州撤退勧告を拒否 1933年 永田鉄山・統制派と小畑敏四郎・皇道派の対立が始まる
1933年 重光葵が外務次官就任 1933年 塘沽停戦協定締結
1933年 鮎川義介が自動車製造株式会社を設立しダットサンの製造開始(翌年日産自動車へ改称)
1933年 豊田喜一郎が豊田自動織機製作所内に自動車製作部門創設(トヨタ自動車創業)
1933年 三陸地震で大津波被害
1933年 永田鉄山・統制派と小畑敏四郎・皇道派の対立が始まる
1933年 塘沽停戦協定締結
1933年 「海軍の父」山本権兵衛が死去(享年81)
1934年 東郷平八郎死去 1934年 林銑十郎が陸相に就任し永田鉄山ら統制派が陸軍中央を掌握
1934年 林銑十郎が陸相に就任し永田鉄山ら統制派が陸軍中央を掌握 1934年 岡田啓介内閣(海軍)発足、林銑十郎が陸軍大臣就任(川島義之に途中交代)
1934年 岡田啓介内閣(海軍)発足 1934年 統制派が『陸軍パンフレット』刊行
1934年 中国共産党の紅軍が長征を開始、毛沢東が実権を掌握 1934年 日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く
1934年 統制派が『陸軍パンフレット』刊行
1934年 満鉄あじあ号が運行開始
1934年 正力松太郎の読売新聞社がMLB来日試合を機に大日本東京野球倶楽部創設(→読売ジャイアンツ)、吉本興業も出資し林正之助が球団役員に就任(戦後読売新聞社の完全支配下となり吉本興業は撤退)
1934年 日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く
1934年 徴兵逃れが蔓延し徴兵猶予者は過去最高の9万人
1935年 天皇機関説問題、国体明徴運動 1935年 天皇機関説問題、国体明徴運動
1935年 陸軍統制派の首領永田鉄山が殺害される(相沢事件) 1935年 林銑十郎陸相・永田鉄山軍務局長が満州出張し関東軍を抑制、「梅津・何応欽協定」成立
1935年 石原莞爾が参謀本部作戦課長就任、陸軍中枢の指導的地位に就く 1935年 陸軍統制派の首領永田鉄山が殺害される(相沢事件)
1935年 ナチス・ドイツが再軍備を宣言 1935年 石原莞爾が参謀本部作戦課長就任、陸軍中枢の指導的地位に就く
1935年 皇統派が敵視する東條英機が満州の関東憲兵隊司令官に追払われる
1936年 自動車製造事業法施行、日産自動車と豊田自動織機自動車部が許可会社指定を受ける 1936年 二・二六事件、参謀本部作戦課長の石原莞爾が戒厳司令部参謀を兼務し反乱将校の断罪と皇統派の粛清を主導
1936年 東京巨人軍・大阪タイガースなど7球団で日本職業野球連盟発足 1936年 広田弘毅内閣(外務官僚)発足~軍国主義化が一気に加速、寺内寿一が陸軍大臣就任
1936年 二・二六事件 1936年 陸軍省軍務局課員を経て兵務局兵務課長就任
1936年 広田弘毅内閣(外務官僚)発足~軍国主義化が一気に加速 1936年 軍部大臣現役武官制が復活
1936年 軍部大臣現役武官制が復活 1936年 「満州開拓移民推進計画」決定
1936年 「満州開拓移民推進計画」決定 1936年 日本の呼称を「大日本帝国」に統一
1936年 日本の呼称を「大日本帝国」に統一 1936年 日独防共協定調印
1936年 スペイン内戦勃発 1936年 広田弘毅内閣が「北守南進政策」を決定
1936年 日独防共協定調印 1936年 ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約廃棄
1936年 広田弘毅内閣が「北守南進政策」を決定
1936年 西安事件
1936年 ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約廃棄
1937年 林銑十郎内閣(陸軍)発足 1937年 林銑十郎内閣(陸軍)発足
1937年 第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場 1937年 東條英機が関東軍参謀長に栄転し陸軍主導による満州国支配を確立
1937年 岸信介が満州国産業部次長に就任し(のち総務省次長)「産業開発五ヵ年計画」で統制経済を推進 1937年 武藤章が参謀本部作戦課長就任
1937年 盧溝橋事件で日中戦争が始まる 1937年 田中新一が陸軍省軍務局軍事課長就任
1937年 日中戦争不拡大を説く石原莞爾が失脚し華北分離を主張する武藤章・田中新一ら統制派が陸軍中央を掌握 1937年 第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場、杉山元が陸相就任(板垣征四郎に途中交代)
1937年 近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大 1937年 東條英機参謀長・辻政信参謀の関東軍が暴走しソ満国境で武力衝突事件が発生
1937年 日本軍が北京・天津・上海を攻略(第二次上海事変) 1937年 盧溝橋事件で日中戦争が始まる
1937年 石原莞爾の停戦案を近衛文麿首相と陸軍統制派が拒否 1937年 日中戦争不拡大を説く石原莞爾が失脚し華北分離を主張する武藤章・田中新一ら統制派が陸軍中央を掌握
1937年 第二次国共合作成立 1937年 近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大
1937年 イタリアが日独防共協定に参加 1937年 日本軍が北京・天津・上海を攻略(第二次上海事変)
1937年 鮎川義介が石原莞爾ら陸軍の要請に応じ満州重工業開発株式会社を設立し日産の重工業部門を満州へ移転 1937年 石原莞爾の停戦案を近衛文麿首相と陸軍統制派が拒否
1937年 近衛文麿内閣が統制経済推進のため企画院を開設 1937年 統制派に敗れた石原莞爾が関東軍参謀副長に左遷され関東軍参謀長の東條英機と衝突し罷免される
1937年 大本営設置 1937年 第二次国共合作成立
1937年 日本軍が国民政府の首都南京を占領 1937年 鮎川義介が石原莞爾ら陸軍の要請に応じ満州重工業開発株式会社を設立し日産の重工業部門を満州へ移転
1937年 機械系輸出で自転車・自動車関連が躍進 1937年 大本営設置
1937年 ソ連、スターリンによる大粛清の最盛期 1937年 日本軍が国民政府の首都南京を占領
1938年 日本軍が武漢三鎮を占領するが蒋介石の国民政府は重慶へ退避 1938年 日本軍が武漢三鎮を占領するが蒋介石の国民政府は重慶へ退避
1938年 近衛文麿首相がトラウトマンの日中戦争和解案を拒絶 1938年 近衛文麿首相がトラウトマンの日中戦争和解案を拒絶
1938年 近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明) 1938年 近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明)
1938年 ドイツがオーストリアを併合 1938年 国家総動員法公布~軍国主義化の決定打
1938年 国家総動員法公布~軍国主義化の決定打 1938年 杉山元に代わり日中戦争不拡大派(石原莞爾系)の板垣征四郎が陸相就任
1938年 近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発 1938年 統制派の東條英機が陸軍次官就任
1938年 近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発
1938年 東條英機陸軍次官と多田駿参謀次長が喧嘩両成敗で更迭、東條英機は新設の陸軍航空総監に転出
1939年 平沼騏一郎内閣(右翼・司法官僚)発足 1939年 平沼騏一郎内閣(右翼・司法官僚)発足、板垣征四郎が陸軍大臣就任
1939年 ナチス・ドイツから日独伊三国同盟の提案を受ける 1939年 ナチス・ドイツから日独伊三国同盟の提案を受ける
1939年 アステラス製薬創業 1939年 田中新一が駐蒙軍参謀長就任
1939年 大相撲の横綱双葉山が69連勝達成 1939年 ノモンハン事件勃発
1939年 日本軍がゼロ戦を開発 1939年 天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告
1939年 国民精神総動員委員会が発足 1939年 独ソ不可侵条約調印
1939年 米穀配給統制法公布、生活物資の配給制が始まる 1939年 阿部信行内閣(陸軍)発足、畑俊六が陸軍大臣就任
1939年 ノモンハン事件勃発 1939年 ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
1939年 天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告 1939年 武藤章が陸軍省軍務局長兼調査部長就任
1939年 独ソ不可侵条約調印
1939年 阿部信行内閣(陸軍)発足
1939年 ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
1939年 武藤章が陸軍省軍務局長兼調査部長就任
1940年 米内光政内閣(海軍)発足 1940年 米内光政内閣(海軍)発足、畑俊六が陸軍大臣就任
1940年 日本が汪兆銘を擁立して南京に中華民国政府を樹立 1940年 日本が汪兆銘を擁立して南京に中華民国政府を樹立
1940年 日本軍による重慶爆撃 1940年 日本軍による重慶爆撃
1940年 イタリアが英仏に宣戦布告 1940年 イタリアが英仏に宣戦布告
1940年 ナチス・ドイツ軍がパリを占領しフランス降伏 1940年 ナチス・ドイツ軍がパリを占領しフランス降伏
1940年 第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相) 1940年 第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相)
1940年 松岡洋右外相が外務省の粛清人事を強行(重光葵駐英大使は免れる) 1940年 アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化
1940年 ドイツがバルト三国を併合、ベネルクス三国を占領 1940年 「バトル・オブ・ブリテン」でイギリスがナチス・ドイツの本土上陸作戦を阻止
1940年 アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化 1940年 近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる
1940年 「バトル・オブ・ブリテン」でイギリスがナチス・ドイツの本土上陸作戦を阻止 1940年 日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動
1940年 近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる 1940年 陸軍統制派で最強硬の田中新一が参謀本部第1部長に就任、対米妥協論の武藤章軍務局長と対立
1940年 日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動 1940年 近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任
1940年 陸軍統制派で最強硬の田中新一が参謀本部第1部長に就任、対米妥協論の武藤章軍務局長と対立 1940年 海軍の出師準備発令
1940年 近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任 1940年 最後の元老西園寺公望死去
1940年 アメリカが日本の外交暗号解読に着手 1940年 岡敬純・石川信吾ら対米強硬派が海軍を完全掌握し海軍国防政策委員会を設置
1940年 紀元二千六百年記念式典
1940年 海軍の出師準備発令
1940年 最後の元老西園寺公望死去
1940年 岡敬純・石川信吾ら対米強硬派が海軍を完全掌握し海軍国防政策委員会を設置
1940年 晩婚化が進み初婚平均年齢は男性28歳・女性24歳に上昇
1941年 アメリカがレンドリース法を成立させ連合国へ大規模軍事支援開始 1941年 東條英機陸相が石原莞爾を予備役に追込む
1941年 松岡洋右外相がナチス・ドイツのヒトラーを表敬訪問、シンガポール攻撃を吹込まれる 1941年 松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印
1941年 松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印 1941年 野村吉三郎駐米大使の日米和解交渉が松岡洋右外相の妨害により停止
1941年 野村吉三郎駐米大使の日米和解交渉が松岡洋右外相の妨害により停止 1941年 独ソ戦開戦
1941年 独ソ戦開戦 1941年 第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐、東條英機は陸相留任
1941年 第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐 1941年 関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強
1941年 関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強 1941年 南部仏領インドシナ進駐開始
1941年 南部仏領インドシナ進駐開始 1941年 アメリカが対日石油輸出全面禁止
1941年 極東アメリカ軍創設、ダグラス・マッカーサーが総司令官に就任 1941年 御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意
1941年 アメリカが在米日本資産を凍結し英蘭らも追随 1941年 東條英機内閣(陸軍)発足、東條首相が陸相兼務
1941年 アメリカが対日石油輸出全面禁止 1941年 アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定
1941年 ゾルゲ事件 1941年 ナチス・ドイツ軍がモスクワ攻略に失敗し後退が始まる
1941年 御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意 1941年 日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発
1941年 東條英機内閣(陸軍)発足 1941年 米軍が航空機の大増産を開始
1941年 アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定
1941年 ナチス・ドイツ軍がモスクワ攻略に失敗し後退が始まる
1941年 日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発
1941年 フランクリン・ルーズベルト米国政府が膨大な予算を投じ原子爆弾開発を本格始動(当初より日本への原爆投下を予定)
1941年 戦艦大和が就役
1941年 米軍が航空機の大増産を開始
1942年 日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略 1942年 日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
1942年 日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる) 1942年 日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる)
1942年 アメリカ・キューバ・メキシコで日系移民の強制収容所送りが始まる(合計12万人) 1942年 東條英機首相が武藤章軍務局長を近衛師団長に左遷しフィリピン方面軍に送る
1942年 東條英機首相が武藤章軍務局長を近衛師団長に左遷しフィリピン方面軍に送る 1942年 米軍が日本本土爆撃を試行
1942年 米軍が日本本土爆撃を試行 1942年 ミッドウェー海戦で日本海軍大敗
1942年 ミッドウェー海戦で日本海軍大敗 1942年 鮎川義介が満州重工業開発総裁を辞任し日産コンツェルンは満州から全面撤退
1942年 東條英機首相が田中新一参謀本部第1部長をビルマ方面軍に左遷 1942年 東條英機首相が田中新一参謀本部第1部長をビルマ方面軍に左遷
1942年 フランクリン・ルーズベルト米国政府がグローヴス准将の総指揮のもとオッペンハイマーら物理学博士を招聘し原子爆弾開発「マンハッタン計画」始動
1943年 スターリングラード攻防戦でソ連軍がドイツ軍を撃退 1943年 スターリングラード攻防戦でソ連軍がドイツ軍を撃退
1943年 日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退 1943年 日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退
1943年 東條英機内閣が明治神宮外苑で出陣学徒壮行会を挙行 1943年 東條英機内閣が明治神宮外苑で出陣学徒壮行会を挙行
1943年 山本五十六連合艦隊司令長官が撃墜死 1943年 山本五十六連合艦隊司令長官が撃墜死
1943年 ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏 1943年 ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
1943年 東條英機首相・重光葵外相が東京で大東亜会議を開催 1943年 東條英機首相・重光葵外相が東京で大東亜会議を開催
1943年 米英中が「カイロ宣言」発表 1943年 米英中が「カイロ宣言」発表
1944年 東條英機の意を受けた牟田口廉也が無用無謀のインパール作戦を強行 1944年 トラック島の海軍拠点が陥落、首相兼陸相の東條英機が杉山元から参謀総長職を奪い嶋田繁太郎海相も軍令部総長を兼務
1944年 連合軍がノルマンディー上陸 1944年 東條英機の意を受けた牟田口廉也が無用無謀のインパール作戦を強行
1944年 マリアナ沖海戦敗北・サイパン島陥落で日本の敗戦が決定的となる 1944年 連合軍がノルマンディー上陸
1944年 伏見宮博恭王の示唆により軍令部で特攻作戦の計画が具体化 1944年 マリアナ沖海戦敗北・サイパン島陥落で日本の敗戦が決定的となる
1944年 小磯國昭内閣(陸軍)発足 1944年 伏見宮博恭王の示唆により軍令部で特攻作戦の計画が具体化
1944年 ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入 1944年 小磯國昭内閣(陸軍)発足、杉山元が陸軍大臣就任
1944年 連合軍によるパリ解放 1944年 小磯國昭内閣が徴兵年齢を拡大し「根こそぎ動員」
1944年 村田昭が村田製作所を創業し「三菱電機伊丹製作所協力工場」として軍需品チタンコンデンサの製造開始 1944年 田中新一がビルマ方面軍参謀長に昇格
1944年 小磯國昭内閣が徴兵年齢を拡大し「根こそぎ動員」 1944年 レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅し南方補給路が断絶(伏見宮博恭王元帥の示唆で「特攻作戦」始動)
1944年 レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅し南方補給路が断絶(伏見宮博恭王元帥の示唆で「特攻作戦」始動)
1944年 学童疎開が義務化され東京・大阪などから41万人以上が集団疎開
1945年 米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意) 1945年 米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意)
1945年 陸海軍統帥部が「本土決戦完遂基本要綱」を決定 1945年 陸海軍統帥部が「本土決戦完遂基本要綱」を決定
1945年 東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す 1945年 東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す
1945年 硫黄島陥落で日本軍は本土制空権も完全喪失 1945年 硫黄島陥落で日本軍は本土制空権も完全喪失
1945年 沖縄戦が始まる 1945年 沖縄戦が始まる
1945年 ソ連が日ソ中立条約廃棄を通告 1945年 ソ連が日ソ中立条約廃棄を通告
1945年 吉田茂が近衛上奏文事件で憲兵隊に2ヶ月間拘置され反軍部の「勲章」獲得 1945年 鈴木貫太郎内閣(海軍)発足、阿南惟幾が陸軍大臣就任
1945年 鈴木貫太郎内閣(海軍)発足 1945年 内地へ召還された田中新一の搭乗機がプノンペン近郊で墜落し重傷を負う
1945年 ハリー・S・トルーマン(共和党)が米大統領就任(~1953) 1945年 ドイツが連合国に降伏
1945年 ドイツが連合国に降伏 1945年 鈴木貫太郎政府がソ連を仲介とする日米和解工作に動く
1945年 鈴木貫太郎政府がソ連を仲介とする日米和解工作に動く 1945年 連合国がポツダム宣言発表
1945年 アメリカが原子爆弾実験に成功しトルーマン大統領が日本への投下命令 1945年 トルーマン米大統領が広島に原子爆弾投下
1945年 連合国がポツダム宣言発表 1945年 ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻
1945年 トルーマン米大統領が広島に原子爆弾投下 1945年 トルーマン米大統領が長崎に原子爆弾投下
1945年 スターリンがソ連軍に対日参戦発令、原子爆弾開発を厳命 1945年 田中新一が予備役に編入される
1945年 ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻 1945年 日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告
1945年 トルーマン米大統領が長崎に原子爆弾投下 1945年 玉音放送
1945年 日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告 1945年 マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始
1945年 玉音放送 1945年 日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧
1945年 全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・) 1945年 GHQが東條英機を逮捕し戦犯狩り始動
1945年 東久邇宮稔彦王内閣(公家)発足、重光葵が外相就任(吉田茂に途中交代) 1945年 連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952)
1945年 日本政府が進駐軍兵士専用の「特殊慰安施設(売春施設)」設置
1945年 東久邇宮稔彦王首相の「一億総懺悔」発言で敗戦原因究明がうやむやとなる
1945年 『日米英会話手帳』が発売3ヶ月で400万部の大ベストセラーに
1945年 マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始
1945年 日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧
1945年 GHQが陸海軍解体指令
1945年 GHQが言論統制を発動し民間検閲支隊による徹底的な検閲を開始
1945年 GHQが東條英機を逮捕し戦犯狩り始動
1945年 GHQが自主路線の重光葵外相を更迭し超従米路線の吉田茂に外相交代
1945年 米国務省が「降伏後における米国の初期対日方針」決定
1945年 昭和天皇・マッカーサー会談(以後11回)
1945年 御手洗毅の精機光学工業(キヤノン)が海軍等技術者を招聘し高級カメラ製作で事業再開(戦災で焼失した産科医院は再建断念)、進駐軍将校相手に盛況を呈す
1945年 連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952)
1945年 近衛文麿国務相がマッカーサーと会談、生存を賭けて憲法改定起草に乗出す
1945年 幣原喜重郎内閣(外務官僚・従米路線)発足、吉田茂が外相就任
1945年 GHQが五大改革指令
1945年 マッカーサーが日本軍の武装解体完了を宣言
1945年 国際連合発足
1945年 戦後第一回の宝くじ発売
1945年 GHQの委任により中華民国軍が台湾を実効支配
1945年 雑誌の創刊・復刊ブーム
1945年 GHQが財閥解体指令
1945年 日本社会党(片山哲書記長)・日本自由党(鳩山一郎総裁)・日本進歩党(町田忠治総裁)の結党が相次ぐ
1945年 陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理
1945年 日本共産党大会、徳田球一を書記長に選出
1945年 男女共学解禁
1945年 松本蒸治国務相(松本委員会)が憲法改正四原則を発表
1945年 GHQ命令により各新聞で「太平洋戦争史」連載、自虐史観が浸透
1945年 衆議院議員選挙法改定(婦人参政権容認)、「GHQ解散」
1945年 GHQが日本史・地理・修身の教育全廃を命令
1946年 天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表) 1946年 極東国際軍事裁判(東京裁判)開始(~1948)
1946年 GHQが公職追放を発動し軍関係者を中心に約21万人が遭難(1951年解除)
1946年 アメリカ合衆国中央情報局(CIA)発足
1946年 GHQが日本政府から沖縄施政権を剥奪
1946年 並木路子の『リンゴの唄』発売(戦後最初のヒット曲)
1946年 GHQが幣原喜重郎内閣の第一次農地改革法案を拒否し徹底的改革を命令
1946年 GHQが松本委員会の憲法草案を拒否し「押付け憲法」を幣原喜重郎内閣が受諾
1946年 インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行
1946年 昭和天皇の地方巡幸はじまる
1946年 チャーチル元英首相が「鉄のカーテン」演説(ソ連の閉鎖性を批判し、共産主義勢力への共闘を呼掛け)
1946年 GHQ指令に基づき労働組合法公布
1946年 国際通貨基金(IMF)発足
1946年 伊豆諸島が本土復帰
1946年 新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
1946年 GHQが持株会社整理委員会を設置し財閥解体を本格化
1946年 親米派財界人により経済同友会発足
1946年 極東国際軍事裁判(東京裁判)開始(~1948)
1946年 井深大・盛田昭夫が東京日本橋に東京通信工業設立(ソニー創業)
1946年 GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任
1946年 第一次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任
1946年 フィリピンがアメリカから独立
1946年 経済安定本部(安本)・物価庁設置
1946年 ドイツの戦犯を裁くニュルンベルク裁判判決(死刑12人・終身刑3人・有期刑4人・無罪2人)
1946年 復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立
1946年 吉田茂内閣がGHQ指令に従い破壊的改革を強いる第二次農地改革法を制定
1946年 本田宗一郎が浜松市に本田技術研究所を設立し原動機付自転車「バタバタ」が大ヒット(本田技研工業創業)
1946年 田岡一雄が三代目山口組を襲名し港湾荷役と芸能興行で勢力伸張
1946年 吉田茂首相がGHQ作成「押付け憲法」を押通し日本国憲法公布
1946年 吉田茂内閣が当用漢字1850字・旧かなづかい禁止の内閣告示
1946年 吉田茂内閣で「戦後処理費(米軍駐留経費)」が膨張し一般歳出の32%を占める
1946年 吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定
1947年 新宿帝都座で日本初のヌードショー、ストリップがブームに
1947年 手塚治虫(大坂医専学生)の長編漫画単行本『新寳島』が累計40万部の大ヒットで「赤本」ブームを巻起す(戦後ストーリー漫画の原点)
1947年 マッカーサー元帥の「2・1ゼネスト」中止声明で労働組合運動が沈静化
1947年 井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
1947年 日本進歩党が民主党に改組(芦田均総裁)
1947年 トルーマン米大統領が「トルーマン・ドクトリン」発表(ギリシア・トルコへの支援表明により共産主義勢力と戦う決意を示唆)
1947年 GHQにより独占禁止法制定
1947年 総選挙、片山哲の社会党が第一党に躍進
1947年 GHQ作成日本国憲法施行
1947年 GHQ・吉田茂首相が米軍駐留経費増額に反抗する石橋湛山蔵相を公職追放
1947年 片山哲内閣(社会党・キリスト教徒)発足、芦田均が外相兼副総理就任
1947年 マーシャル米国務長官が「マーシャル・プラン」発表(西欧諸国への復興援助表明により東西対立が先鋭化、ソ連はコメコン設立で対抗)
1947年 毛沢東の共産党軍が大反攻を開始し蒋介石の国民政府軍を圧倒、アメリカは防共のためアジア戦略変更を迫られる
1947年 石油配給公団発足に伴い出光興産が販売店指定を獲得し石油業界に復帰(出光商会を吸収合併)
1947年 インド・パキスタンがイギリスから独立、イギリスの謀略で国境紛争常態化
1947年 芦田均外相がアメリカ政府に米軍の「有事駐留」を提案し怒りを買う
1947年 昭和天皇がGHQに「沖縄の恒久的軍事占領が望ましい」と伝達
1947年 山口良忠東京地裁判事が闇物資拒絶により餓死
1947年 過度経済力集中排除法(財閥解体の施行細則)施行
1947年 民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)
1947年 GHQが匿退蔵物資事件捜査部(東京地検特捜部)を設置
1947年 村田昭の村田製作所が田中哲郎京大助教授と共同で主力製品セラミックコンデンサの基礎となるチタン酸バリウム磁器素体の開発に成功
1948年 ミャンマーがイギリスから独立 1948年 東條英機らA級戦犯7名の死刑執行、他の戦犯容疑者は釈放
1948年 ロイヤル米陸軍長官演説(占領経費削減と「反共の防波堤」構築のため、日本経済の破壊から自給自足促進への戦略転換を提言)
1948年 帝銀事件
1948年 李承晩と金日成の対立で米ソ合同委員会による南北朝鮮統一工作が破綻
1948年 ジョージ・ケナンが来日し米国政府の日本解体緩和方針をマッカーサーに伝達
1948年 民主党を離脱した幣原喜重郎グループ(田中角栄も)が自由党に合流し民主自由党成立(吉田茂総裁)
1948年 日独占領政策を担うドレイパー米陸軍次官が日本視察し経済破壊政策の緩和を米政府に勧告(ジョンストン=ドレイパー報告)
1948年 芦田均内閣(民主党・外務官僚・自主路線)発足、芦田均が外相兼任
1948年 美空ひばり歌手デビュー
1948年 アメリカ軍政のもと大韓民国樹立宣言
1948年 アメリカで独立シンクタンク「ランド研究所」発足、米国学術界を牽引しノーベル賞受賞者も輩出
1948年 イスラエル独立宣言、第一次中東戦争でイスラエル軍勝利
1948年 ソ連が「ベルリン封鎖」を強行し冷戦緊迫化
1948年 風営法制定
1948年 GHQ参謀第2部=東京地検特捜部が民政局打倒のため昭和電工疑獄を創出し芦田均内閣が総辞職
1948年 ソ連共産党の指導下に金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立
1948年 GHQ参謀第2部が民政局を打倒し第二次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任
1948年 米政府が「国家安全保障会議文書」において日本経済の破壊から復興への180度戦略転換を確定
1948年 GHQが日本解体方針を緩和し「経済安定九原則」発表
1948年 東條英機(享年63)らA級戦犯7名の死刑執行、他の戦犯容疑者は釈放
1948年 内閣不信任案が可決され吉田茂首相は衆議院解散で対抗
1949年 マーシャル・プランに対抗するソ連と東欧6カ国が東欧経済相互援助会(コメコン)設立
1949年 衆議院総選挙、吉田茂の与党民主自由党が単独過半数獲得
1949年 第三次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相就任(岡崎勝男に途中交代)
1949年 米軍が日本の再軍備方針を決定
1949年 ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す
1949年 GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定
1949年 北大西洋条約機構(NATO)発足
1949年 東京証券取引所再開
1949年 GHQ民政局次長ケーディスが辞職
1949年 吉田茂首相が日本独立後も米軍駐留を望む旨を示唆
1949年 ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件
1949年 ラオスがフランスから独立
1949年 甲子園で全国高校野球大会はじまる
1949年 シャウプ勧告(税制改革指令)
1949年 ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化
1949年 毛沢東の共産党が国共内戦を制し北京で中華人民共和国樹立を宣言、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
1949年 東西ドイツ分離独立
1949年 インドシナ戦争・南北ベトナムの内戦勃発
1949年 吉田茂首相が西側陣営との単独講和にも応じる旨を声明
1949年 湯川秀樹が「中間子の存在の予想」で日本人初のノーベル物理学賞受賞
1949年 闇金融で摘発された東大生の山崎晃嗣が自殺(光クラブ事件・藤田田も関与)
1949年 蒋介石の国民政府が台湾台北に移転
1949年 インドネシア独立戦争終結・オランダから独立達成
1949年 ドッジ・ライン恐慌でラジオセットメーカーの大半が倒産し関西の生残りは松下電器産業と早川電機工業(シャープ)のみ、部品供給の村田製作所も経営難に陥る
1950年 ドッジ・ライン恐慌が深刻化、池田勇人蔵相は「中小企業の一部倒産やむなし」と発言
1950年 トヨタ自動車工業が経営危機に陥り大規模労働争議も発生、豊田喜一郎が社長を引責辞任し石田退三へ交代
1950年 民主自由党が自由党に改称
1950年 中ソ友好同盟相互援助条約成立、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
1950年 学者グループが「厳正中立・全面講和」声明発表、西側との「単独講和」を進める吉田茂首相は「曲学阿世」発言で対抗
1950年 吉田茂首相が池田勇人蔵相・宮澤喜一秘書官を派米し米軍駐留継続と単独講和を申入れ
1950年 トルーマン米大統領がジョン・フォスター・ダレスを極東問題担当国務省顧問に任命
1950年 GHQ民主化政策の一環で電波3法成立・MHK独占のラジオ放映権が解放され民放開局が相次ぎラジオ・ブーム加速
1950年 GHQが徳田球一・野坂参三ら幹部24人の公職追放を命令(共産党弾圧方針を明確化)
1950年 トルーマン米大統領がダレス米講和特使を派日(1951年までに4回来日)
1950年 朝鮮戦争勃発、米軍の特需で日本経済は蘇生しアメリカは破壊から復興へ対日政策を転換
1950年 GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)
1950年 GHQ指令を受け吉田茂政府が国家警察予備隊(自衛隊)創設
1950年 池田勇人蔵相が「貧乏人は麦を食え」発言
1950年 産業別労働人口:第一次産業48,5%・第二次21.8%・第三次29.6%
1951年 国家警察予備隊(自衛隊)の組織化完了、軍隊批判に対し吉田茂首相が「自衛のための戦力は合憲」と発言
1951年 トルーマン米大統領が対立するマッカーサー連合軍最高司令官を罷免しリッジウェイ大将に交代(ウィロビー参謀第2部長も退官)
1951年 各新聞がマッカーサー礼賛報道するが、マッカーサーの「日本人十二歳説」により終息
1951年 自由党に鳩山一郎の派閥が起り吉田茂の主流派と勢力伯仲
1951年 公職追放解除
1951年 サンフランシスコ講和条約および日米安保条約調印、衆参両院が批准承認
1951年 サンフランシスコ講和条約を巡り社会党が左右派に分裂
1952年 吉田茂政権が自由な米軍駐留と治外法権を認める日米行政協定(安保条約の施行細則)調印
1952年 GHQ指令を受け吉田茂政府が海上警備隊(海上自衛隊)創設
1952年 ラジオ番組『君の名は』が空前の大ヒット(~1954年)
1952年 サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定が発効、GHQは廃止され日本は独立を達成
1952年 吉田茂首相腹心の岡崎勝男が隠蔽工作により宮澤喜一の行政協定批判を回避、外相に抜擢される
1952年 血のメーデー事件(2人射殺・逮捕者1230人)
1952年 ロバート・D・マーフィー米大使就任(~1953)
1952年 財閥解体の緩和が進み三井生命保険・住友銀行など財閥商号も復活
1952年 ヘルシンキ・オリンピック開催、日独が戦後初参加
1952年 破壊活動防止法成立
1952年 自由党で吉田茂派と鳩山一郎派の溝が深まり吉田首相は抜打解散で対抗
1952年 東京都内のジーンズショップが100店を超える
1952年 衆議院総選挙、自由党が圧勝し鳩山一郎ら公職追放解除者が衆議院議席の42%を占める
1952年 イギリスが核実験に成功(米ソに次ぐ3番目の保有国)
1952年 鳩山一郎への首相禅譲密約により第四次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、岡崎勝男が外務大臣就任
1952年 アメリカが世界初の水爆実験実施
1952年 池田勇人通産相が「中小企業の倒産・自殺やむなし」の失言で引責辞任
1952年 本田宗一郎の本田技研工業が小型バイク「カブ」を発売し大ヒット
1952年 内灘闘争(~1957)、基地反対闘争はじまる
1952年 GHQ接収施設返還(一般施設1428件・個人住宅1967件)
1953年 ドワイト・D・アイゼンハワー(共和党)が米大統領就任(~1961)
1953年 ジョン・フォスター・ダレスが米国務長官就任(~1959)、引き続き対日政策を主導
1953年 早川徳次の早川電機工業(シャープ)が国産初の白黒テレビ発売
1953年 テレビ放送開始
1953年 吉田茂首相が衆議院を「バカヤロー解散」、鳩山一郎・広川弘禅が分派し分党派自由党結成
1953年 ソ連に人類史上最悪の恐怖政治を敷いたスターリンが死去、フルシチョフがベリヤ・マレンコフを粛清し後継体制確立
1953年 出光佐三の出光興産「日章丸二世」が英国海軍の監視をかわしイランから原油搬入、BPが積荷の所有権を主張するが東京地裁で出光興産の勝訴決定(日章丸事件)
1953年 第五次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、岡崎勝男が外務大臣就任
1953年 ジョン・M・アリソン米大使就任(~1957)
1953年 朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る
1953年 『東京物語』(小津安二郎監督)公開
1953年 鳩山一郎が分自党を解消し吉田茂の自由党に復党、三木武吉・河野一郎・石橋湛山らが離脱し日本自由党結成
1953年 奄美群島が本土復帰
1953年 アイゼンハワー米大統領が演説で「原子力の平和利用」を提唱
1953年 林正之助・林弘高の吉本興業が力道山(元大相撲関脇)を迎え日本プロレス協会(日本プロレスリング興業株式会社)設立、テレビ放送でプロレス・ブーム到来(1957年人気低落に伴い吉本興業は撤退)
1953年 ソ連が水爆実験を開始
1953年 フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがDNAの二重らせん構造を発見~分子生物学の萌芽
1954年 日本漁船がビキニ環礁にてアメリカの水爆実験に遭難(第五福竜丸事件)
1954年 アメリカの意を受けた中曽根康弘らが初の原子力予算案を衆議院に提出
1954年 集団就職列車はじまる(~1975)
1954年 『ローマの休日』(オードリー・ヘプバーン主演)日本上映
1954年 造船疑獄、佐藤栄作逮捕を拒否した犬養健(犬養毅の次男)法相が辞任
1954年 朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道
1954年 アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)
1954年 『ゴジラ』第一作上映
1954年 反抗勢力が日本民主党に合同し(鳩山一郎総裁・重光葵副総裁・岸信介幹事長)内閣不信任決議で吉田茂内閣を打倒
1954年 第一次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任
1954年 高度経済成長はじまる(~1973)
1955年 米CIAに近い正力松太郎の読売新聞が「原子力の平和利用」を喧伝
1955年 総選挙、鳩山一郎首相の民主党政権は絶対多数を獲得できず憲法改正を断念し対ソ外交に注力
1955年 第二次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任
1955年 アジア・アフリカ会議(バンドン会議)開催
1955年 砂川闘争(~1960)
1955年 ワルシャワ条約機構(WTO)発足
1955年 日本の保守合同に対しダレス米国務長官が財政支援を示唆しCIAは岸信介を通じ巨額資金供与
1955年 井深大の東京通信工業(ソニー)が国産初のトランジスタラジオを発売し商標「SONY」で世界的大ヒット
1955年 重光葵外相・岸信介がワシントンでダレス米国務長官と会談、在日米軍撤退・防衛分担金廃止提案を一蹴される
1955年 日本がGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟
1955年 左右社会党統一(鈴木茂三郎委員長・浅沼稲次郎書記長、衆院156議席・参院69議席)
1955年 米CIAに近い正力松太郎の読売新聞が「原子力平和利用博覧会」開催、来場者数37万人
1955年 保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始
1955年 第三次鳩山一郎内閣(自民党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任
1955年 アメリカの意を受けた中曽根康弘主導で「原子力の平和利用」促進のための原子力基本法成立
1956年 原子力基本法に基づき原子力委員会が発足し正力松太郎が初代委員長就任(委員にノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹ら)
1956年 『昭和史』(岩波新書)の自虐的左翼史観を亀井勝一郎が批評し「昭和史論争」が起る
1956年 フルシチョフの「スターリン批判」演説が西側に伝わり「雪どけ」機運高まる
1956年 日ソ国交回復を期す鳩山一郎内閣の河野一郎農相・重光葵外相らが相次いでモスクワ訪問
1956年 日本原子力研究所(茨城県那珂郡東海村)設立
1956年 スエズ動乱(第二次中東戦争)でイスラエル軍が勝利するが米ソの支持を得たエジプトがスエズ運河を国有化
1956年 鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言
1956年 日本・フィリピン国交回復(賠償金1980億円・借款900億円)
1956年 自主路線の鳩山一郎内閣が日ソ国交回復を達成
1956年 ハンガリー動乱、ソ連軍が武力鎮圧
1956年 シベリア抑留者の最後の引揚船が舞鶴帰港(「岸壁の母」がミリオンセラーに)
1956年 日ソ国交回復を受け国際連合が日本の加盟を承認、重光葵外相の国連総会演説が賞賛される
1956年 石橋湛山内閣(自民党・言論人・自主路線)発足、岸信介が外務大臣就任
1956年 公団住宅の供給がはじまる
1957年 アメリカに抵抗し自主外交を牽引した重光葵が謎の突然死(享年69)
1957年 自主外交を掲げた石橋湛山首相が謎の発病により首相辞任
1957年 ダグラス・マッカーサー2世が米大使就任(~1961)、日本政府をリード
1957年 第一次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、岸信介が外務大臣兼任(藤山愛一郎と途中交代)
1957年 欧州経済共同体(EEC)発足
1957年 岸信介首相が「憲法は自衛のための核兵器保有を禁ずるものではない」と発言、自衛隊の軍備拡張計画(第一次防衛力整備計画)を承認
1957年 原子力政策推進のため科学技術庁が発足し米CIAに属す正力松太郎が初代長官就任、湯川秀樹が原子力委員会委員辞任で抗議
1957年 岸信介が首相として初めてビルマ・インド・インドネシア・パキスタン・セイロン・タイ・台湾を歴訪
1957年 岸信介首相が訪米、アイゼンハワー大統領・ダレス国務長官に自衛隊増強と引換えの安保改定を申入れ
1957年 マラヤ連邦(マレーシア)がイギリスから独立
1957年 岸信介首相が「外交三原則」でアジア重視の外交方針を宣言
1957年 中内功が末弟の中内力と大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」開業(ダイエー創業)
1957年 ソ連で大規模原発事故発生(ウラル核惨事)
1957年 ソ連が初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功、大陸間弾道ミサイル(ICBM)実用化により北米大陸を射程に置く
1957年 電力9社と電源開発の出資により日本原子力発電株式会社設立
1958年 日本が初めて国連安全保障理事会の非常任理事国となる
1958年 日本・インドネシア国交回復(賠償金803億円・無償供与636億円・借款1440億円)
1958年 総選挙、岸信介首相の与党自民党は大勝できず憲法改正を断念し安保改定に注力
1958年 第二次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、藤山愛一郎が外務大臣就任、佐藤栄作が大蔵大臣就任
1958年 NASA(アメリカ航空宇宙局)設立
1958年 安藤百福が即席麺「チキンラーメン」を発売しテレビCMで大ヒット(日清食品創業)
1958年 岸信介内閣が「勤務評定問題」で日協組を攻撃し対立が深まる
1958年 岸信介内閣が警職法改正案(警察権限の拡大)を提出するが反対運動により廃案
1958年 ミッチー・ブーム
1958年 東京タワー開業
1958年 全学連・社会党・総評が岸信介政権を攻撃し「安保闘争」が過熱
1958年 毛沢東の「大躍進」政策で中国経済が壊滅し数千万人が餓死(~1960)
1958年 毛沢東が台湾侵攻を図るが米軍の抵抗で断念(台湾海峡クライシス)
1959年 フィデル・カストロによるキューバ革命
1959年 アメリカがソ連に次いで大陸間弾道ミサイル (ICBM) の実戦配備開始
1959年 鳩山一郎死去
1959年 『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊
1959年 稲盛和夫がファインセラミックス専門メーカー「京都セラミック」設立(京セラ創業)
1959年 ジョン・フォスター・ダレス米国務長官が病気により辞任
1959年 ソ連が世界初の月ロケット打ち上げに成功
1959年 「大躍進」の大失敗で毛沢東が一時失脚し劉少奇・鄧小平が経済再建を始動
1959年 三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北
1960年 日本・ベトナム国交回復(賠償金140億円・借款59億円)
1960年 フランスが核実験に成功(米ソ英に次ぐ4番目の保有国)
1960年 安保闘争のなか岸信介首相が日米新安保条約・地位協定調印を強行
1960年 毛沢東の「修正主義批判」により中ソ対立が表面化(~1989)
1960年 日米新安保条約・地位協定発効
1960年 東芝が国産第1号のカラーテレビ発売
1960年 安保闘争によりアイゼンハワー米大統領の訪日中止
1960年 第一次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
1960年 石油輸出国機構 (OPEC) 設立
1960年 アメリカが世界初の原子力空母エンタープライズ完成
1960年 浅沼稲次郎社会党委員長が演説中に刺殺される
1960年 第二次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
1960年 池田勇人内閣が「所得倍増計画」を閣議決定
1960年 ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
1960年 産業別労働人口:第一次産業32.7%・第二次29.1%・第三次38.2%
1961年 アイゼンハワー米大統領が退任演説で「軍産複合体」の危険性を警告
1961年 ジョン・F・ケネディ(民主党)が米大統領就任(~1963)
1961年 高原慶一朗が愛媛県川之江市(現四国中央市)に建材加工の大成化工を設立し2年後生理用ナプキンの生産開始(ユニ・チャーム創業)
1961年 ソ連軍のユーリイ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功し「地球は青かった」と発言
1961年 エドウィン・O・ライシャワー米大使就任(~1966)、日米蜜月関係を演出し沖縄返還に奔走
1961年 日本経済団体連合会(経団連)発足
1961年 東ドイツが「ベルリンの壁」建設
1961年 電気洗濯機の世帯普及率が50%突破
1961年 東京・大阪・名古屋証券取引所に第2部市場発足
1962年 キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
1962年 池田勇人首相が欧州7ヶ国を歴訪しGATT35条撤回およびOECD加盟の交渉が前進
1962年 池田勇人内閣が米政府の反対を押切り中国と「LT貿易」合意
1962年 有名私立大学で軒並み女子学生が過半数を占め「女子学生亡国論」が話題に
1963年 日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始
1963年 ベンチャー企業向け証券取引市場(店頭登録制度)開設
1963年 日本がGATT11条国へ移行(GATT35条適用撤廃、為替・貿易原則自由化)
1963年 『花の生涯』でNHK大河ドラマが始まる
1963年 米ソ英が部分的核実験停止条約調印
1963年 本田宗一郎の本田技研工業が軽トラックを発売し四輪車事業に参入
1963年 日本原子力研究所が日本で最初の原子力発電を実施(「原子力の日」)
1963年 キヤノンカメラが世界初のオートフォーカス「キャノンAFカメラ」発売、世界市場でドイツ勢・ライカを凌駕
1963年 ジョン・F・ケネディ米大統領暗殺
1963年 リンドン・ジョンソン(民主党)が米大統領就任(~1969)
1963年 第三次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
1964年 警視庁が暴力団全国一斉取締り(「第一次頂上作戦」)を開始
1964年 日本がIMF8条国へ移行(為替取引制限撤廃)
1964年 日本人の海外旅行自由化(IMF・OECD加盟による)
1964年 マッカーサー死去
1964年 ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向
1964年 日本が経済協力開発機構(OECD)加盟
1964年 米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
1964年 IMF・世界銀行東京総会
1964年 東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
1964年 東京オリンピック
1964年 ソ連でフルシチョフが失脚しブレジネフ政権へ移行
1964年 中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
1964年 第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足
1965年 佐藤栄作首相が訪米しジョンソン大統領と会談、ベトナム戦争への軍事協力を断りつつ沖縄・小笠原の施政権問題解決方針を確認
1965年 日韓基本条約調印
1965年 李光耀のシンガポールがマレーシアから独立
1965年 池田勇人死去
1965年 佐藤栄作首相が「沖縄の祖国復帰が実現しないかぎり、わが国にとっての戦後が終わっていない」と声明
1965年 インドネシアでクーデター未遂事件(9月30日事件)、スカルノ大統領が失脚しスハルトが政権奪取
1965年 日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面
1965年 朝永振一郎が「量子電気力学分野での基礎的研究」でノーベル物理学賞受賞
1965年 日本・ビルマ(ミャンマー)国交回復(賠償金1224億円)
1965年 日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)
1965年 ウォーレン・バフェットがバークシャー・ハサウェイの経営権取得
1965年 戦後初の国債発行
1965年 電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破
1966年 政権奪還を図る毛沢東が文化大革命を発動し中国が内乱状態となる(~1976)
1966年 『ウルトラマン』のテレビ放送開始
1966年 日産自動車が経営難のプリンス自動車工業を吸収合併
1967年 公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
1967年 第二次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足
1967年 佐藤栄作首相が「武器輸出三原則」発表
1967年 第三次中東戦争、勝利したイスラエルの領土が約4倍に拡大
1967年 中国が水爆実験実施(米ソに次ぐ3番目の水爆保有国)
1967年 欧州共同体(EC)発足
1967年 公害対策基本法施行
1967年 東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
1967年 吉田茂死去
1967年 佐藤栄作首相が訪米しジョンソン大統領と「数年以内の沖縄返還」合意
1968年 佐藤栄作首相が「非核三原則」表明、沖縄返還で「核抜き・本土並み」を条件とする方針を示唆
1968年 全共闘運動が全国の大学に広がる
1968年 小笠原諸島が本土復帰
1968年 佐藤栄作内閣が国連に核保有国の行動規制を提言
1968年 米ソ英仏中を含む62か国が核拡散防止条約調印
1968年 少年誌『週刊少年ジャンプ』・青年誌『ビッグコミック』『プレイコミック』創刊
1968年 インテル設立
1968年 チェコスロヴァキア「プラハの春」、ソ連が軍事介入により鎮圧
1968年 文化大革命で毛沢東の政敵鄧小平が失脚、寒村で強制労働
1968年 日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
1969年 東大安田講堂事件
1969年 リチャード・ニクソン(共和党)が米大統領就任(~1974)
1969年 珍宝島事件・中ソ国境紛争
1969年 佐藤栄作首相が愛知揆一外相を派米しニクソン大統領に「1972年中の沖縄返還、核抜き・本土並み」の日本側方針を通知
1969年 林正之助の吉本興業がテレビ番組『ヤングおー!おー!』放送開始、笑福亭仁鶴、桂三枝、横山やすし・西川きよし、オール阪神・巨人、明石家さんま、桂文珍、月亭八方、島田紳助ら吉本芸人が全国区となり松竹芸能を駆逐
1969年 『週刊少年チャンピオン』創刊
1969年 アメリカNASAのアポロ11号が初の有人月面着陸に成功
1969年 テレビアニメ『サザエさん』(長谷川町子原作)放送開始
1969年 ウォルマート設立
1969年 文化大革命で毛沢東の政敵劉少奇が殺害される
1969年 佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還を基本合意、核兵器持込み容認と日本の繊維輸出自主規制を密約
1969年 小沢一郎が自民党公認・岩手2区から出馬し衆議院議員初当選、田中角栄の秘蔵子として累進
1969年 御手洗毅のキヤノンが独占企業ゼロックスの特許を使わない複写機を開発しシェア急伸
1969年 冷戦のデタント時代(~1979)
1970年 第三次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足
1970年 日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
1970年 よど号ハイジャック事件
1970年 岡田卓也の岡田屋がフタギ・オカダヤチェーン・カワムラ・ジャスコを吸収合併し「ジャスコ株式会社」設立(→イオン)、三重県四日市から大阪市福島区へ本社移転
1970年 佐藤栄作内閣が日米新安保条約・地位協定の継続を選択
1970年 三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺
1970年 電気洗濯機の世帯普及率が90%突破
1970年 対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
1970年 産業別労働人口:第一次産業19.3%・第二次34.0%・第三次46.6%
1971年 『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始
1971年 ソ連が初の宇宙ステーション・サリュート1号を打ち上げ(搭乗員は全員死亡)
1971年 環境庁発足
1971年 ニクソン米大統領が訪中宣言(ニクソン・ショック)、繊維問題の報復で日本は蚊帳の外
1971年 ニクソン米大統領がドル兌換停止宣言(ニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制(金本位制に基づく対ドル固定相場制)が崩壊し急激な円高が日本の輸出産業を直撃
1971年 安藤百福の日清食品が「カップヌードル」を発売しカップ麺ブームが始まる
1971年 大相撲の横綱大鵬が現役引退
1971年 アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
1971年 ドル切下げにより1ドル360円から308円となる
1971年 電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破
1972年 札幌冬季オリンピック
1972年 連合赤軍あさま山荘事件
1972年 ニクソン訪中、繊維問題の報復で米国務省は「尖閣問題」の日本支持を修正
1972年 沖縄返還
1972年 富士通で稲葉清右衛門が計算制御部を分社化して「富士通ファナック」を設立し専務取締役就任(ファナック創業)
1972年 田中角栄が「日本列島改造論」発表
1972年 第一次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足
1972年 「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
1972年 中内功のダイエーが三越を抜き小売業売上高日本一を達成
1972年 田中角栄首相が訪中し日中国交正常化(台湾が日本に国交断絶を通告し台湾断交)、ニクソン・キッシンジャー米政権は激怒
1972年 第二次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足
1972年 カラーテレビの世帯普及率が50%突破
1973年 『仁義なき戦い』(深作欣二監督)上映
1973年 日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
1973年 鈴木修常務の鈴木自動車工業(スズキ)が軽自動車販売で日本一となる(~2006)
1973年 藤子不二雄原作『ドラえもん』のテレビアニメ放送開始
1973年 永守重信が京都市で日本電産を創業し精密小型モーター製造開始
1973年 第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦
1973年 第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換
1973年 巨人が9年連続でセリーグと日本シリーズを制覇(V9)、王貞治は打率355(生涯最高)・本塁打51・打点114で悲願の三冠王となりシーズンMVP獲得
1973年 手塚治虫の虫プロ商事・虫プロダクション倒産、人気低迷のうえ多額の保証債務を抱えるが『週刊少年チャンピオン』連載の『ブラック・ジャック』・『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』で復活
1973年 周恩来の工作により鄧小平が中国中央政界に復活
1973年 江崎玲於奈が「半導体におけるトンネル効果の実験的発見」でノーベル物理学賞受賞
1973年 カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破
1974年 田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害
1974年 高校進学率が90%を突破し大学進学率は30%を超え更に上昇
1974年 鈴木敏文のヨークセブン(イトーヨーカ堂の子会社)が東京豊洲にセブン-イレブン1号店開業
1974年 インドが核実験に成功(米ソ英仏中に次ぐ6番目の保有国)
1974年 滝崎武光が尼崎市にリード電機設立(キーエンス創業)
1974年 鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
1974年 ウォーターゲート事件でニクソンが米国史上初めて大統領辞任
1974年 ジェラルド・R・フォード(共和党)が米大統領就任(~1977)
1974年 立花隆が『文藝春秋』で「田中角栄研究 その人脈と金脈」を発表、アメリカと従米派による田中角栄下しが始まる
1974年 テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始
1974年 巨人の連続日本一がV9で終わり長嶋茂雄が現役引退し川上哲治の後任監督に就任~生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回、王貞治は三冠王とシーズンMVPを2年連続獲得
1974年 フォード米大統領が現職として初めて訪日し田中角栄首相と会談
1974年 三木武夫内閣(自民党・従米路線)発足
1974年 電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
1975年 サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
1975年 中内功のダイエーが「ダイエーローソン株式会社」でCVSに参入し豊中市にローソン1号店開業
1975年 佐藤栄作死去、日本武道館で大隈重信以来の「国民葬」(葬儀委員長は田中角栄)
1975年 ビル・ゲイツがマイクロソフト創業
1975年 合計特殊出生率が急落し2.0割れ(2005年の1.26まで漸減)
1975年 広島カープがセリーグ初優勝(長嶋茂雄監督の巨人は最下位)
1975年 第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
1975年 カラーテレビの世帯普及率が90%突破
1975年 戦後2度目の国債発行、赤字国債発行が恒常化(~1989)
1976年 周恩来死去、第一次天安門事件、鄧小平失脚 1976年 田中新一が死去(享年83)
1976年 米上院チャーチ委員会でロッキード事件発覚
1976年 中国が支援するクメール・ルージュのポル・ポトがカンボジアを制圧、国民の3割を虐殺
1976年 スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立
1976年 『ブロックくずし』のヒットでゲーム機普及が加速
1976年 田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕される
1976年 毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
1976年 福田赳夫内閣(自民党・財務官僚・自主路線)発足
1976年 戦後生れが総人口の過半を占める