著名自分史「毛利輝元」

オリジナル

毛利 輝元

もうり てるもと

毛利 輝元

1553年~1625年

-20

石田三成の甘言に釣られ関ヶ原の戦いで西軍総大将に担がれるも家中すら統率できず小早川秀秋・吉川広家の寝返りで徳川家康に勝利を献上、本領安堵の偽約にすがり鉄壁の大阪城を明け渡すが祖父毛利元就が築いた120万石を長州藩36万石に削られ重臣を誅殺して保身を図った戦国一の馬鹿殿

寸評

基礎点 -20点 毛利輝元は、石田三成の甘言に釣られ関ヶ原の戦いで西軍総大将に担がれるも家中すら統率できず小早川秀秋・吉川広家の寝返りで徳川家康に勝利を献上、本領安堵の偽約にすがり鉄壁の大阪城を明け渡すが祖父毛利元就が築いた120万石を長州藩36万石に削られ重臣を誅殺して保身を図った戦国一の馬鹿殿である。父の毛利隆元が早世したため元就から家督を継いだが家政は叔父の吉川元春・小早川隆景に委ねられ(毛利両川)、隆景が豊臣秀吉に臣従して大封を保った。毛利輝元は、安芸の吉田郡山城から広島城へ本拠を移し、隆景と共に五大老に任じられ、1597年隆景の死により名実共に当主となった。翌年秀吉が死に前田利家も病没、天下を狙う徳川家康が三成を憎む加藤清正・福島正則・黒田長政ら武断派大名を取込み三成を失脚に追込むと、復権を期す三成は五大老の宇喜多秀家・上杉景勝と西国大名を誘引し、1600年景勝・直江兼続の挑発に乗った家康が会津征伐を挙行すると毛利輝元を総大将に担ぎ挙兵、西軍は伏見城を落として畿内を制圧し東軍迎撃の拠点美濃大垣城へ進軍、輝元は豊臣秀頼を守って大阪城に陣取り毛利勢は毛利秀元(輝元の養子)・吉川広家(元春の後嗣)・小早川秀秋(秀吉の甥で隆景の養嗣子)・安国寺恵瓊が出陣した。両軍は関ヶ原で激突、真田昌幸が信濃上田城に徳川秀忠隊を釘づけにして東軍兵力を半減させ、布陣有利な西軍は善戦したが、小早川軍が突如西軍に襲い掛かり寝返り続発で西軍は壊滅、吉川広家の妨害で毛利軍は参戦せず、周章狼狽した輝元は立花宗茂や秀元の主戦論を退け鉄壁の大阪城を自ら明渡した。吉川広家は黒田長政・福島正則を通じて本多忠勝・井伊直政から本領安堵の起請文を得ており開城に際しても念押ししたが反故にされた。毛利家は防長36万石へ押込められ、広家は岩国藩3万石を立藩、秀秋は筑前名島30万7千石から岡山藩55万石へ増転封されるが2年後に発狂死し無嗣改易となった。毛利輝元は、楯突く熊谷元直・吉見広長を族滅して保身を図り、大阪陣で内藤元盛を密かに大阪城へ送込み秀頼を支援した事実が露見すると元盛と二児を自害させ隠蔽(佐野道可事件)、自身は73歳の長寿を保った。

史実

1553年 毛利隆元(毛利元就の嫡子で吉川元春・小早川隆景の兄)の嫡子に毛利輝元が出生

1553年 龍造寺隆信が筑後柳川城主蒲池鑑盛の助勢を得て肥前へ攻め戻り反対派を恭順させる

1554年 [甲相駿三国同盟(善徳寺の会盟)]武田晴信(信玄)・北条氏康・今川義元が相互に婚姻を結び同盟、三強連携体制で武田は信濃・北条は関東・今川は尾張の攻略に専念

1554年 石見の吉見正頼からの同盟要請に応じた毛利元就が陶晴賢に反旗、救援軍の宮川房長を討取り安芸西部沿岸の諸城を制圧、陶晴賢は吉見正頼と和睦して対峙するが元就の謀略に乗せられて智謀の重臣江良房栄を殺害

1554年 毛利元就の謀略に乗せられた尼子晴久が家中最有力の新宮党尼子国久・誠久父子を殺害

1554年 島津貴久に降った大隅加治木城主肝付兼盛を蒲生範清・祁答院良重・入来院重朝ら大隅国人が攻撃するが、島津の援軍が岩剣城の決戦で大隅連合軍を撃滅、貴久の嫡子義久と次男義弘が初陣を果たす

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1554年 二階崩れの変に乗じて相良晴広ら反大友の肥後国人衆が決起、菊池義武(大友宗麟の叔父)は隈本城に迎えられ菊池家再興を図るが戸次鑑連(立花道雪)率いる大友軍に敗れ自害(名門菊池氏は名実共に滅亡。なお西郷隆盛の家は菊池氏の子孫と称した)、鑑連は反抗勢力を討ち従えて肥後を制圧

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1555年 朝倉宗滴が越後の長尾景虎(上杉謙信)に呼応して加賀一向一揆討伐に出陣、1日で南郷・津葉・千足の3城を落とし大聖寺を攻囲するが、陣中で病に倒れ一乗谷で死去(享年79)、柱石を喪った朝倉氏は凡庸な義景の下で一族や家臣の内紛が頻発し弱体化、一向一揆の反攻に晒され、18年後宗滴が大器を見抜いた織田信長に滅ぼされる

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1555年 [厳島の戦い(日本三大奇襲)]乾坤一擲の劣勢挽回を図る毛利元就が反間の計で大内軍を狭い厳島に誘い込み、小早川隆景の調略で村上武吉・村上通康の村上水軍を味方に付け海上封鎖したうえで闇夜に渡海上陸し山上から急襲、大内軍潰走のなか逃げ遅れた陶晴賢は厳島青海苔浦で自害、一気に視界が開けた元就は直ちに大内家乗取りに奔走

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1555年 能島村上水軍の村上武吉・来島村上水軍の村上通康が小早川隆景からの「1日だけの味方」要請に勝利を予見し毛利元就の厳島合戦に参戦、村上水軍の手引きで闇夜に紛れて厳島へ渡り退路を封じた毛利軍は陶晴賢の大軍を奇襲で殲滅、村上水軍は毛利による大内家乗取り(防長経略)に協力して勢力を伸ばし塩飽諸島や備後小早川氏の水軍衆と提携して瀬戸内海を掌握

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交遊録

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毛利隆元 早世した元就嫡子・父
毛利秀就 嫡子
毛利秀包 元就末子で隆景養子
穂井田元清 元就庶子
毛利秀元 元清嫡子で輝元養子
吉川元春 元就次男の猛将
吉川元長 早世した元春嫡子
吉川広家 吉川家を継いだ元春三男
吉川国経 元就舅の盟友
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