著名自分史「最上義光」

オリジナル

最上 義光

もがみ よしあき

最上 義光

1546年~1614年

70

伊達氏から独立し謀略を駆使して出羽国人を切従え、関ヶ原の戦いで上杉景勝を撃退し山形藩57万石に躍進した羽州探題の名門大名、愚孫最上義俊が家臣団の総スカンを喰い改易に処された(最上騒動)

寸評

基礎点 70点 最上義光は、伊達氏から独立し謀略を駆使して出羽国人を切従え、関ヶ原の戦いで上杉景勝を撃退し山形藩57万石に躍進した羽州探題の名門大名、愚孫最上義俊が家臣団の総スカンを喰い改易に処された(最上騒動)。羽州探題最上氏は国人割拠で衰退し最上義定は陸奥守護伊達稙宗に臣従、養嗣子の最上義守は天文の乱に乗じて自立を図り将軍足利義輝を後ろ盾に勢力拡大を図るが寒河江兼広に敗れ挫折、長男義光の廃嫡を企て一旦隠居に追込まれるも同族の有力国人衆「最上八楯」及び娘婿の伊達輝宗に担がれ義光討伐軍を挙兵、1574年四面楚歌の義光は必死の防戦で和睦に漕ぎ着け伊達氏からの完全独立を果した(天正最上の乱)。足元を固めた最上義光は鮮やかな個別撃破戦術を展開、里見民部の寝返りを誘って上山城主上山満兼を討たせ、馬揃え参陣を拒否した小国城主細川直元を包囲殲滅、東禅寺義長を寝返らせて大宝寺義氏を討ち庄内を平定、羽州探題を僭称する白鳥長久を山形城に誘込んで自ら斬殺し谷地城を奪取、強豪延沢満延に娘を縁付けて自陣に引込み最上八楯を切崩すと寒河江城主寒河江高基・東根城主東根頼景を攻め滅ぼし盟主天童頼澄を天童城から追放して1584年出羽最上郡平定を達成、横手城主小野寺義道の南進を撃退し、大宝寺義興を滅ぼして庄内支配を固めた。1588年大崎合戦で伊達政宗を撃退するが隙を衝いた上杉景勝が本庄繁長・大宝寺義勝(繁長の実子)を派して庄内を奪還(十五里ヶ原の戦い)、豊臣秀吉に帰順し羽州探題に補された最上義光は景勝の惣無事令違反を訴えるが黙殺され奥州仕置で出羽山形城24万石が確定、石田三成と昵懇の景勝・直江兼続に対抗するため徳川家康に接近し、秀次事件で愛娘駒姫が殺されると完全な家康党となった。1600年会津征伐軍が上方へ転戦し最前線で孤立した最上領に直江兼続率いる上杉軍・小野寺軍が殺到、最上諸将は寡兵で猛攻を凌ぎ東軍勝利の報を得た最上義光は兜に被弾しながら上杉軍を追撃し庄内を奪還、関ヶ原合戦後に領有を認められ出羽山形藩57万石を立藩した。義光の死から3年後に後嗣最上家親が急逝し、1622年最上騒動が起り最上家は自滅した。

史実

1546年 伊達稙宗傘下の出羽山形城主最上義守の嫡子に最上義光が出生

1546年 [河越夜戦(日本三大奇襲)]北条氏康と関東管領上杉憲政・上杉朝定・古河公方足利晴氏(氏康の妹婿)の連合軍が武蔵河越で決戦、圧倒的寡勢の北条軍は「地黄八幡」北条綱成の奇襲で完勝し、朝定敗死で扇谷上杉氏は滅亡・上野平井城に落延びた憲政の山内上杉家も没落・晴氏は幽閉され氏康が立てた傀儡の次男義氏(氏康娘婿)に古河公方職を奪われ、祖父早雲以来の悲願である打倒上杉氏を果した北条氏康は関東制覇を睨み越後長尾(上杉謙信)・常陸佐竹・安房里見と対峙

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1546年 河越夜戦で関東管領山内上杉憲政に従った上野箕輪城主長野業正が北条氏康に敗れ嫡子吉業を喪うが「箕輪衆」を結束させ西上野の支配圏を堅持(上杉家臣の大胡氏・上泉伊勢守信綱らも長野氏に臣従)、業正は憲政を保護した越後の長尾景虎(上杉謙信)に臣従し北条氏康・武田晴信(信玄)と対峙

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1546年 [舎利寺の戦い]細川晴元に反逆した将軍足利義晴・細川氏綱・細川政国・遊佐長教の反乱を三好長慶の阿波勢と六角定頼の近江勢が制圧、義晴は逃亡先の近江坂本で隠居し10歳の嫡子足利義輝に13代室町将軍を継がせる(2年後に義晴は晴元と和解して京都に戻り晴元は義輝の将軍就任を承諾する)

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1547年 [加納口の戦い]斎藤道三が尾張織田信秀の侵攻軍を撃破し美濃一国を完全平定、土岐政頼自害・土岐頼芸の越前朝倉家亡命で美濃守護土岐氏は滅亡

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1548年 [上田原の戦い・塩尻峠の戦い]信濃の覇権を賭けて武田晴信(信玄)が葛尾城の村上義清に決戦を挑むが宿老板垣信方・甘利虎泰の戦死を含む大損害を出し侵攻停止、村上義清に呼応した小笠原長時が諏訪に攻め寄せるが再起不能の大敗を喫し深志(松本)林城に逃げ戻る

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1548年 連戦連勝の長尾景虎(上杉謙信・長尾為景の子)が家臣・国人衆に推戴され家督と越後守護代を承継(兄長尾晴景は隠居)、2年後に傀儡守護の上杉定実が後嗣無く死去し室町将軍足利義輝から越後国主の承認を受け、翌年坂戸城の戦いで上田長尾政景を降して22歳で越後国統一を達成

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1548年 [第2次小豆坂の戦い]駿遠の今川義元と尾張の織田信秀が三河を巡り決戦、太原雪斎の軍略により勝利した今川氏が三河を支配圏に治め駿河・遠江・三河の太守となる

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1548年 [天文の乱]奥州探題大崎義直・羽州探題最上義守をはじめ葛西・相馬・蘆名ら南奥羽諸豪を従属させた陸奥守護伊達稙宗(政宗の曽祖父)が娘婿相馬顕胤への領地割譲・三男伊達実元の越後守護上杉定実への入嗣を画策、猛反発した嫡子伊達晴宗が稙宗を幽閉するが脱出し諸豪を巻込んで6年に及ぶ大乱に発展、室町将軍足利義輝の仲裁により稙宗隠居・晴宗への家督禅譲で決着するが伊達氏は求心力を喪失、稙宗を寝返り晴宗勝利に導いた蘆名盛氏は伊達氏と肩を並べるまでに成長し伊達家中では中野宗時が台頭

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1549年 [キリスト教伝来]イエズス会のフランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸、薩摩国主島津貴久は布教を許すが仏教界の反対に遭って獲得信者は150人のみ、期待した南蛮船も入航せず貴久は布教を禁止、ザビエル一行は全国布教許可を得るため上洛するが京都の荒廃と足利将軍の権威失墜に失望して在京15日で退去し再び西下、仰々しい装いに改めた効果で肥前平戸の松浦隆信・周防山口の大内義隆・豊後府内の大友義鎮(宗麟)から歓待され、各領内に布教体制を築いてインドへ去る(日本滞在は2年余)

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交遊録

最上義定 伊達稙宗に敗れた羽州探題・稙宗娘婿
最上義守 父・義定養嗣子・伊達輝宗舅
中野義時 家督を争い自害させた義守次男
楯岡光直 最上騒動を起すが熊本藩家老となった義守三男・楯岡城主
義姫 義守娘・伊達輝宗正室
最上義康 暗殺した嫡子
最上家親 徳川家康に気に入られ家督を継がせた次男
最上義俊 最上騒動で改易された家親嫡子
清水義親 家親に殺された三男・清水城主
山野辺義忠 最上騒動で家臣に担がれるが水戸藩家老となった四男
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