著名自分史「足利義昭」

オリジナル

足利 義昭

あしかが よしあき

足利 義昭

1537年~1597年

20

横死した剣豪将軍足利義輝の弟で、「天下布武」を目指す織田信長に担がれるも裏切って自滅した室町幕府最後の将軍、旧臣明智光秀が信長を討ったが天下は豊臣秀吉が奪いその庇護下で天寿を全う

寸評

基礎点 20点 足利義昭は、横死した剣豪将軍足利義輝の弟で、「天下布武」を目指す織田信長に担がれるも裏切って自滅した室町幕府最後の将軍、旧臣明智光秀が信長を討ったが天下は豊臣秀吉が奪いその庇護下で天寿を全うした。12代将軍足利義晴の次男で興福寺一乗院門跡となり28歳まで僧侶覚慶であった。1565年兄義輝を弑殺した三好三人衆・松永久秀に捕えられたが三淵藤英・細川藤孝兄弟ら幕臣の助けで奈良を脱出、覚慶は足利将軍家の家督を宣言し還俗して足利義昭を名乗り、南近江守護六角義賢が献上した矢島御所に拠って上杉謙信ら諸侯に上洛を促すが、三好氏に圧迫されて逃亡し若狭武田氏を経て越前朝倉氏に身を寄せた。1568年朝倉義景に失望した足利義昭が新参の明智光秀の手引きで尾張の織田信長へ鞍替えすると、信長は直ちに5万余の上洛軍を挙げ六角・三好を一掃し入洛して義昭を15代室町将軍に擁立した。義昭は帰順した仇敵松永久秀の処刑を望んだが謝辞された。翌年三好勢が本圀寺に仮寓する義昭を襲うが岐阜城から戻った信長が一蹴、信長は豪壮な二条御所を造営し将軍の権威付けに努めるが、「幕府再興」に有頂天の足利義昭は独断で論功行賞を行い「御父」と持上げた信長には副将軍職を献じるが逆に『殿中御掟』を突きつけられ傀儡将軍の増長を掣肘された。1571年石山合戦勃発で信長包囲網が結成されると、将軍足利義昭はあっさり恩人を裏切り「御内書」攻勢による謀略を開始、浅井長政・朝倉義景・本願寺顕如・六角・延暦寺に内通し仇敵の松永・三好へも決起を呼掛け武田信玄・上杉謙信・毛利輝元には上洛を懇請した。翌年戦国最強の武田軍が三方ヶ原合戦で徳川家康を撃破し京都に迫ると、松永久秀の呼応に逸る足利義昭は勇み足で挙兵したが信玄急死で目論みが崩れ宇治槇島城を攻囲され降伏、明智光秀・細川藤孝・荒木村重ら家臣にも見限られ、1573年京都を追放され室町幕府は滅亡した。前将軍足利義昭は、毛利輝元に匿われ備後鞆から打倒信長・幕府再興を訴えたが相手にされず、1588年天下人豊臣秀吉に召出され正式に将軍職辞任を表明、没落大名の文芸サロン御伽衆に加えられ9年後に大坂で病没した。

史実

1537年 12代室町将軍足利義晴の次男に足利義昭が出生(足利義輝は同母の嫡兄、敵対する管領細川晴元に圧迫され無頼生活を送る)

1537年 豊臣秀吉が尾張国中村の下層民(焙烙売り・賤民とも)の家に出生(父は織田家の足軽から帰農した木下弥右衛門とも伝わるが不詳、母なかは徳川家康の人質に出した大政所、弟秀長は優秀な副将、姉日秀の子は豊臣秀次、妹あさひは徳川家康に入輿)、20歳前後で織田信長に仕えるまでの事跡は不明(家出して悲惨な放浪生活を送り、武家奉公の最初は今川家臣松下之綱だったとされる)

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1538年 [第一次国府台合戦]鎌倉から武蔵江戸城まで制圧した北条氏綱に対し、小弓公方足利義明が里見義堯・真里谷信応を誘って下総国府台城で挙兵、家柄と武勇を過信し江戸川渡河中の攻撃策を捨てた義明が嫡子義純・弟基頼もろとも討死、戦線離脱し兵力を温存した安房里見氏が漁夫の利を得て久留里城・大多喜城を落とし房総半島の大半を掌握

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1538年 尼子晴久が播磨に侵攻、守護赤松晴政と浦上政宗を敗走させるが三木城主別所就治の抵抗に遭い、安芸戦線を毛利元就に脅かされたため出雲へ撤退

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1539年 三好長慶が三好政長との同族抗争を機に主君細川晴元討伐軍を挙兵、将軍足利義晴と近江守護六角定頼の和睦斡旋に応じるが、大軍動員で武威を示した長慶は摂津半国守護代職と越水城を獲得

1541年 [吉田郡山城の戦い]毛利元就に安芸・備後の領地を切取られた尼子晴久が武田光和の遺児武田信実を担ぎ反攻、大軍で吉田郡山城を攻囲するが毛利元就の計略(12歳の次男吉川元春が家臣の制止を振り切って初陣)と大内家陶隆房(晴賢)の援軍により撃退され尼子久幸(経久の弟)も戦死、武田信実は出雲に逃亡し安芸守護武田氏滅亡、元就は反抗勢力を皆殺にして安芸を制圧

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1541年 武田晴信(信玄)が重臣の板垣信方・甘利虎泰・飯富虎昌及び姉婿今川義元と共謀して父武田信虎を駿河へ追放し家督と甲斐守護職を承継、領民は暴虐な信虎の追放を歓迎

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1541年 美濃国を専断する斎藤秀竜(斎藤道三)に対し土岐頼満(頼芸の弟)・頼次(頼芸の嫡子)らが挙兵、秀竜支持の土岐頼芸は尾張の織田信秀・近江の六角定頼・越前の朝倉孝景に仲裁を依頼し内乱収束、秀竜は引責剃髪し斎藤道三と号す

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1541年 父北条早雲が征した伊豆・相模を固め武蔵・駿河に勢力を伸ばした北条氏綱が死去、嫡子北条氏康が打倒上杉氏・関東制覇の遺志を継ぐ

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1541年 流浪の身から最盛期には山陰・山陽11ヶ国に君臨した尼子経久が月山富田城にて病没(享年82)

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交遊録

足利義晴 父・12代室町将軍
足利義輝 三好に討たれた兄
鹿苑寺周暠 三好に殺された弟
足利義尋 嫡子
足利義維 義晴弟・三好が担いだ堺公方
足利義栄 義維後嗣・14代室町将軍
足利晴氏 古河公方
足利義氏 北条が傀儡に担いだ古河公方
足利義明 北条に滅ぼされた小弓公方
近衛尚通 外祖父で猶父
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