著名自分史「足利義輝」

オリジナル

足利 義輝

あしかが よしてる

足利 義輝

1536年~1565年

50

抗争の末に三好長慶に屈服するも諸侯に通じて三好政権打倒を画策、三好三人衆・松永久秀の謀反に斃れたが塚原卜伝直伝「一つの太刀」で奮闘し最後の意地を示した剣豪将軍、弟の足利義昭が織田信長を裏切り室町幕府は滅亡

寸評

基礎点 50点 足利義輝は、抗争の末に三好長慶に屈服するも諸侯に通じて三好政権打倒を画策、三好三人衆・松永久秀の謀反に斃れたが塚原卜伝直伝「一つの太刀」で奮闘し最後の意地を示した剣豪将軍、弟の足利義昭が織田信長を裏切り室町幕府は滅亡する。12代室町将軍足利義晴の嫡子で、1546年10歳のとき亡命先の近江坂本で将軍位を譲られたが、敵対する管領細川晴元に追われては近江の六角定頼に匿われる無頼生活が続いた。1549年江口の戦いで主君晴元を破った三好長慶が幕政を握ると、足利義晴・義輝は細川晴元に担がれ長慶に抵抗したが、六角定頼の死で勢力を削がれ近江朽木へ退避、1558年京都奪回を試みるも阿波勢の来援で撃破され降伏して5年ぶりに京都へ戻った(北白川の戦い)。傀儡将軍も確保し幕政を牛耳った三好長慶は摂津・阿波を拠点に畿内・四国10ヵ国を制圧したが、剛毅な将軍足利義輝は抗争仲裁や偏諱・官位授与を通じて六角義賢・朝倉義景・伊達稙宗・最上義光・武田信玄・上杉謙信・織田信長・斉藤義龍・北条氏政・毛利元就・尼子晴久・大友宗麟・島津貴久らと関係を築き三好政権打倒を目論んだ。宿敵三好長慶の運命は弟の十河一存の病死で一気に暗転、1562年河内の畠山高政・安見宗房が近江の六角義賢を誘って蜂起すると、和睦工作で窮地を凌ぐも弟の三好実休が戦死し三好家中では戦功著しい松永久秀が台頭(久米田の戦い)、翌年嫡子三好義興に続き細川晴元・細川氏綱も死んで大義名分の管領を喪い、謀反の嫌疑で弟の安宅冬康を誅殺した直後に長慶自身も病没した。足利義輝には好機が到来したが、三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)に先手を打たれ二条御所を急襲されて討死(永禄の変)、三好氏を倒しても誰かに担がれるほか無かったが見事な死様で武門の棟梁の矜持を示した。足利義輝には嗣子が無く、三弟の周暠は殺されたが次弟の足利義昭は探索を逃れ越前朝倉氏へ亡命、幕臣の細川藤孝・明智光秀の斡旋工作が実り3年後に織田信長に担がれ最後の室町将軍となる。信長の上洛軍に三好三人衆も六角義賢も蹴散らされ、松永久秀は帰順するも後に謀反して滅ぼされた。

史実

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交遊録

足利義晴 父・12代室町将軍
足利義昭 生延びた弟・信長が15代室町将軍に担ぐ
鹿苑寺周暠 三好に殺された弟
足利義維 義晴弟・三好が担いだ堺公方
足利義栄 義維後嗣・14代室町将軍
足利晴氏 古河公方
足利義氏 北条が傀儡に担いだ古河公方
足利義明 北条に滅ぼされた小弓公方
近衛尚通 外祖父で猶父
近衛稙家 尚通嫡子で舅
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