著名自分史「小磯國昭」

オリジナル

小磯 國昭

こいそ くにあき

小磯 國昭

1880年~1950年

10

穏健派陸軍人として東條英機内閣の後継首相に担がれたが、陸軍との妥協を図るうちに被害が拡大、戦局破綻後に退陣した不作為の重罪人

寸評

基礎点 10点 小磯國昭は宇垣一成の穏健派に連なる陸軍大将として東條英機内閣の後継首相に担がれたが、軍人としても政治家としても特筆すべき業績は無い。敗戦必至の状況で戦争の幕引き役の重責を担い発足した小磯國昭内閣であったが、出身母体である陸軍との妥協に固執しズルズルと被害を拡大させた。小磯國昭首相は「アメリカ軍に一撃を加えた上で有利に対米講和を進める」という都合の良いプランを夢見たが、本土爆撃が本格化するなか日本軍に余力が無いのは明らかであり、陸軍の協力さえ得られないまま徒に時間だけが経過し、レイテ沖海戦敗北・東京大空襲・硫黄島陥落・沖縄侵攻・日ソ中立条約廃棄通告と、無能な小磯内閣のもと日本はあっという間に最悪の局面まで追込まれた。個人の力量も支持基盤も弱い小磯國昭に難局打開を期待する方が悪いとはいえ、大任を引受けた以上は不作為による大損害の責は免れまい。陸軍一夕会・統制派に属さず順送り人事で突然首相に担がれた小磯國昭に対する東京裁判の終身刑判決は不公平にもみえるが、「戦争責任」はともかく国民に対する責任は極めて重い。

史実

1880年 旧新庄藩士で警察署警部の小磯進の嫡子小磯國昭が山形県にて出生

1900年 小磯國昭が陸軍士官学校(12期)卒業

1904年 日露戦争開戦、小磯國昭が歩兵士官として従軍

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1905年 ポーツマス条約調印

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1906年 第二次日韓協約締結、日本が朝鮮を保護国化し文治派の伊藤博文が初代韓国統監に就任

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1906年 南満州に関東都督府設置

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1906年 南満州鉄道会社(満鉄)設立・後藤新平が初代総裁就任、アメリカの干渉が始まる

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1907年 韓国軍隊解散、ハーグ密使事件、第三次日韓協約締結

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1907年 第一次日露協約締結

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1909年 伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)

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交遊録

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